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[コメント] カポーティ(2006/米=カナダ)

料理人が魚や肉を扱うように、小説家が人間を材料として扱うことは許されるのか。ノンフィクションジャンルを開拓したカポーティだけでなく、現代の報道にも絶えず発生するむずかしい問題である。061019
しど

**ネタバレ注意**
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絶えず他人を見下すスノッブなタイプのカポーティを、自分も似たような要素があるのか、嫌悪感を抱いてしまって好きにはなれなかった。また、この「冷血」を書き上げた後、小説が書けなくなってしまったカポーティの弱さを示したことで、悪漢物語・ピカレスクな魅力にも欠けてしまって後味も悪い。なので、最後まで飽きずに興味深く見入ったのだが、いま一つ楽しめなかった。

死刑囚を「金脈」と称するカポーティは異常かもしれないけれど、私は、言葉巧みに事件周辺に取り入っていく助手にも驚いた。だから、後に社会派小説家となる助手と「冷血」なカポーティとが対比されようと、「人間を題材に扱う小説家という人種」自体にネガティブな感情を抱いてしまった。

一方で、私もごく短い期間ながら報道の現場で働いたことがあるので、取材対象との関係性や取材方法には興味を抱いた。どういう手段を経たとしても情報源にたどり着くことは重要だし、死刑囚という金脈からの証言や日記などの鉱石が得られるたびに、達成感を感じることもできた。最後の控訴棄却にすら。つまり、私自身は、嫌いつつもカポーティに感情移入して見ていたことになる。

以上の愛憎まじえた居心地の悪さが、楽しめなかった要因の一つだろう。

カポーティを悪とすれば、対する犯人が「可哀想」に思えたりもするが、彼も当然、殺人犯としての「悪」であり、双方ともが「冷血」であったことに変わりは無い。そして、二人ともが生い立ちの不幸を抱えた「可哀想」でもある。似た者同士だけに、犯人に刑が執行されたことでカポーティも罪悪感に苛まれた。結果、見ている側も逃げ場が無くて結論を下しにくく、もやもやする。

このように改めて自分の感想を整理してみると、複雑な関係性が緻密に描かれている作品であったと気づくし、もちろん、役者もそれぞれに素晴らしかった。それでも☆三つの評価なのは、きっと、この作品の監督自身が、カポーティほど「冷血」では無く、肉や魚のように、人間を材料視することで得られる面白さに踏み込めなかったからではないかと思う。もしくは、社会派としていずれかの立場に同化することもなく。ノンフィクションというジャンルのむずかしさは常にここに集約されている。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)おーい粗茶[*] Orpheus けにろん[*]

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