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[コメント] 竜二(1983/日)

時代の産物という側面は否めないが、大変高度な脚本。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
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制作から四半世紀以上も経った2011年に鑑賞。 沢木耕太郎が「『ハートロッカー』を観て『竜二』を思い出した」と書いていたのを思い出したよ。 私は、「自分はどこにいるんだろう?」の物語だと思う。ある意味『ノルウェイの森』より『ノルウェイの森』(なんだそれ?)。

この映画で秀逸なのは、足を洗った世界に舞い戻るのに、“具体的な事情”がないのに感情の流れが自然に見えるという点にあると思う。

例えば、かつての舎弟がヒドイ目にあったとか、家族が殺されたとか、なんやかんやでやむにやまれぬ事情があったとか、任侠映画や西部劇あるいは日活無国籍アクション等の王道パターンの“再び立ち上がる”ための“具体的な事情”は出てこない。 言い換えれば、目的を持って進む物語ではなく、居場所を探す物語なのだと思う。 たぶんそれは、60-70年代の戦後復興から高度経済成長という熱気の時代から、バブル期までの谷間という時代背景の影響もあるだろう。 (そしてそれは、任侠映画の衰退と重なる時代なのかもしれない。) そうした意味で時代の産物だとは思う。

だが、“具体的な事情”がない中で、その感情の流れは実に自然である。 たしかに金子正次の脚本は秀逸で、大変高度な脚本だと思う。 実際、“具体的な事情”に知恵を絞った方が表現手段としては楽なのだ。

ヤクザがヤクザとして生きにくくなった時代を「(銀行屋を揶揄して)どっちがヤクザか分かりゃしない」と表現し、懐の名刺に手を伸ばすだけで相手を震え上がらせる“器量”でその筋の頂点と限界を知り名刺を捨てる。 あるいは、平穏な生活の中で見せるベッドシーンで決して消えることのない背中の彫り物を見せ、その男の中で決して消えることのないモノを表現する。 『ハートロッカー』は戦場のインパクトに重きを置いたが、この映画は平穏な生活の描写を長々見せる。そして「この窓からは何も見えねえな」と言うのだ。

その脚本の腕力と個性的な主役、そしてその後の不幸が重なり、どうしても金子正次の映画として語られてしまうが、実は川島透の演出も見事だと思う。 その後のキャリアを考えるとたいしたことない監督に思われがちだが、いや、実際たいしたことない監督なのだが。 ほんの数時間の陽射し(冬の日暮れ)の屋外ロケで15カットも撮った、伝説の「肉屋の別れ」シーンの撮影はすごいと思うよ。

余談

「また全日空に乗れる?」←名台詞だと思う。

(11.01.02 CSにて鑑賞)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] 若尾好き ExproZombiCreator

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