[コメント] 白い家の少女(1976/カナダ=米=仏)
なぜかクラスメートの大多数がテレビで観ている映画、というのがあり、本作はその代表格だった。ジョディ・フォスターの吹替は仙道敦子。収束が素晴らしい。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ジョディの中性的な存在感は圧倒的で、『タクシー・ドライバー』より数倍優れている。序盤から連発する父が不在の誤魔化しは半分嘘だと誰にも判ってしまう、というヌケたキャラが肝要で、彼女の超然とした佇まいを崩しているのが不思議な気がして引き込まれる。
そして、ジョデイは悪党なのに被害者のように見えてくるのが絶妙だ。本当は母親を殺されたマーティン・シーンのほうが被害者なのに。
優れた収束で本作は傑作になった。紅茶のカップがふたつ、まるでマーティン・シーンが交換を迫るのをあらかじめ知っているかのように、ジョディは自分のカップに毒を入れる。この件は多義的で、いやジョディは自殺しようとしていたのだとも取れる。原作通りなんだろうか。このラストだけ覚えていて、何という映画だったか長年の疑問だった。今回、謎が解けてとても満足。
当時、ハロウィンはイギリスには知られていなかったような会話がある。母親の地下廊下での死はなんとも即物的なタッチ。マント羽織った手品少年も忘れ難い。
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