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[コメント] 夢見通りの人々(1989/日)

アウトロー森崎のバブル期の居場所は刑務所と廃炭坑とここ鶴橋だった。なのになぜ在日コリアンの話にしないのか半端で残念。本作の白眉は原田芳雄のゲイの真面目な告白で、一般邦画としては先駆でしょうか。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







好青年として描かれた『野良猫ロック セックスハンター』(70) の安岡力也とか『セーラー服と機関銃』(81)の大門正明とかが思い出されるが、ここまで正面切ってゲイの人権を主張する人物は新しかったに違いない。

その他は商店街の面々を怜悧に見放すような呼吸があり、これは純文学になり切れない大衆文学者の原作のものなんだろう。過密着を志向してしまう人情喜劇の森崎映画とは相性がいいとは云いかねた。乙羽信子の近所に不理解なままの死とか、宝石箱開けたら悪戯書きが挟んであったとか。正司照枝をマントヒヒと形容するのはとてもうまいがそれ以上の展開がある訳ではない。高校生カップルが逃げたり戻ったりで最後に寄りを戻しているのは辛気臭いし、テレビでのキスシーンを「ばい菌うつる」と嫌がるあき竹城も辛気臭い。南果歩は幾らか精薄の造形なのか、人物像が彫りが浅くてよく判らなかった。

原作は「難波の少し南」の設定で鶴橋ではない模様(未読)。鶴橋六丁目は実在しない(五丁目まで)が、鶴橋駅前のコリアン街は記録されている。そこで小倉久寛が「雨の降る品川駅」を読むのだから念が入っている(ただし「日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾」の件は読まれない)。このような判りやすい詩で町を描こう、という最後の決意表明も小説のものだろうか。その意気や良し、とは思わされた。

(評価:★3)

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