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[コメント] 坊やの人形(1983/台湾)

サンドイッチマン、圧力鍋、米軍と、資本主義が強いる珍奇な仕事と状況という主題が、あの夢のように美しい台湾の風景とともに展開される剣呑さ。同一作者による粒揃いのオムニバス。個人的には梅崎春生が思い出された。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「坊やの人形(SON’S BIG DALL)」ホウ・シャオシエン。1962年竹崎。日本の雑誌の記事見て、映画館に売り込んでサンドイッチマンになる主人公。化粧して被り物してデンデン太鼓を鳴らして、映画の宣伝ポスターを纏っている。子育ての金儲けのためで、赤ん坊ができたとき、妻に流産の薬を勧めて拒絶された後悔が彼を真面目にさせている。鶏が始終鳴いている農家の中庭のような彼等の居場所、民家のなかを進む汽車が来ると、彼は駅に広告に走る。みんな彼を見ない振りをする。公衆便所でウンコしていたら子供らに衣装取られて、取り返す貨物列車上のアクションがいい。この子らと赤ん坊はパラレルに捉えられているのかも知れない。

妻は夫を戯れに追跡したりする。「坊やはあんたを大きな人形だと思っている」と云う。映画館の館主が今度は拡声器持って三輪車で廻れと云い出して(昇給も込みだったか)、主人公が化粧を止めてしまうと、赤ん坊は父親だと判らなくなったらしく、抱いても大泣きする。気がついて主人公は赤ん坊のために化粧を始める。「俺は赤ん坊の大きな人形だ」とストップモーションで終わる。

主人公も妻も昇給で喜んでいる最中の出来事で、多義的だがハッピーエンドには見えない。主人公は嬉々として道化に戻る。商売でなく家族のために。そんな習性が身に着いてしまった。堕胎しなくて良かった、育てられるという安堵もあるのだろう。しかしそれは率直な喜びからは遠い。

「小泙(シャオチ)の帽子(VICK’S HAT)」ソン・ジュアンシャン。1964年布袋。これも日本製の圧力鍋「しあわせ」を派遣されて漁村で手売りする二人組のセールスマンの話。倉庫を借りて二段ベッドで寝泊まりし、ポスターを貼り、チラシを配り、村人を集めて実演販売。そこで圧力鍋は二度爆発し、二度目の爆発で年長の男は大怪我、年少の主人公は貼ったポスターを破って漁港に投げ込むに至る。職場研修が出鱈目だったという件があり、日本の製造ミスという批難はされないように配慮されているが。

主人公が営業に回っていると、広場で将棋指している暇そうな爺さんが尋ねる。「二時間かかっていた豚足の調理が10分でできます」「そんなに早くつくってどうするんだね」と爺さん。ここに本作の横断的な主題の批評があるに違いない。何のために急ぐのだと、この鄙びた漁村は主張している。到着の朝日に輝く水田の美しいこと(円形に畦が巡らされているのはなんでなんだろう)、道端に出て牡蠣殻か何か取っている小母さんたち、主人公も豚足の毛を道端に出て毟る。未舗装の道路は共有地として豊かに使われている。

主人公はロリコンだと隠さない。倉庫に転がったボールを拾って知り合った小泙という小学校の美少女に懸想していると年長の相棒に外連なく語る(相手も祝福している。よく考えたらこんなことあり得ないのであり、ふたりとも悪人と描いているのではないか)。画を描いた貝殻で誘惑し、後を追って父のような男といて泣いているのに出会って割り込んだりもする。そして豚足の毛を毟ってもらっていた背後から、いつも被っている黄色い帽子をぱっととる。頭に見難い傷がある(一瞬だったのだが、傷で良かったのだろうか)。少女は逃げてしまう。これは何だったか。帽子は禁忌の扉だったか。少女の怪我は同僚の怪我と通底していたというのだろうか。総体として見れば、少女の不幸も圧力鍋のせいなのだろう。

「りんごの味(THE TASTE OF APPLE)」ワン・レン。1969台北。星条旗掲げる黒塗りの外車が人轢いて、大雨のなか加害者と通訳がインドのような馬鹿でかい貧民窟に家族を探す。台北にもこんな場所があったのだった。「隠れん坊にはもってこいだ」「ここは高層ビルになります」。大雨でバラックの室内はトタン屋根に打ちつける雨が大音響を立てる。アメ車で一家は病院へ。妻は夫と台北に汽車で上京したときを回想する。到着したと通訳に云われてハッと夢から醒めるのは、列車に乗った若い自分なのだ。とくに深掘りされないが、このショットがとても印象に残る。

米軍病院はセットに違いなく、全て白で装飾された異様な場所。男兄弟はさっそく冒険を始め、ソファーで飛び跳ね、トイレットペーパーを引き抜き、受付の兵隊で遊ぶ。夫は両脚折っていて妻は絶望するが、大佐だった米兵は巨額の補償金を渡し、子供たちはアメリカで学ばせたいと提案する。「大佐のクルマで良かった」と通訳。妻はもてなしに出されたソーダの缶は持って帰って売ろうと云い、りんごは家で拝んでから食べようと云う。夫はいいじゃないかとみんなに食べさせる。みんな始めてのりんご。ラストは正装した家族写真で、赤ん坊の守りをしていた聾唖の娘だけがなぜか欠けている。大佐によって特殊学校に入れてもらえた、という良心的な解釈もできるが、含みは多義的だっただろう。

(評価:★4)

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