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[コメント] 天皇・皇后と日清戦争(1958/日)

日清戦争史自体が珍しい題材でそれなりに学びがあり、その歴史解釈は今やネトウヨ史観の一典型。中国が気の毒になるような断片も含まれ曰く云い難い感想が残る。大蔵貢の妾高倉みゆきの皇后は不敬と云われた由。アラカンが比較的若作りなのが笑える。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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中国の気の毒については、朝鮮公司の丹波哲郎や伊藤博文の阿部九州男は別に正義ではなく、これも戦争だからしゃーないとアラカン天皇は耐えているのだ、とも取れるところ。君が代流れ伊勢神宮、明治天皇伏見桃山陵、昭憲皇太后伏見桃山東陵、二重橋が次々映るやんごとなきOP。

明治27年京城、韓国外務府で日中韓の交渉。「朝鮮の内覧に端を発し、朝鮮を乗っ取ろうとする支那と、朝鮮の独立を護らんとする日本の間に、風雲急を告げ」とナレーター自ら大嘘を語るが、門前では日本韓国の軍が一触即発の描写がある。朝鮮駐在公司大鳥圭介丹波哲郎は自論を演説。「支那は属国朝鮮に兵を派すると通告してきたが、朝鮮が独立国であるのは日韓修好条約によっても明らかである」。朝鮮側も反対しないのに怒っている「朝鮮は支那の属国か」。朝鮮「朝鮮は独立国である」日本「東学党の叛乱も自力を持って鎮圧したらどうか」中国「すでに鎮圧しているからまず日本軍から撤退されよ」日本「我が公使館は支那兵に先導された暴民に襲撃された。居留民は支那兵の乱暴にあい、婦女子は暴行を受けた。公使館は放火された」と再現フィルム。「支那兵を撤退せられたい」中国「支那の兵は厳重なる規律の元にある兵である。もし乱暴があったならそれは支那兵を装った朝鮮の暴民である。今後は我が方で取り締まるから日本軍は撤去せられたい」日本「この上は朝鮮王の真意を伺い、日本の権利と人命の保護を図らねばならない」丹波退席、「遂に日清談判破裂」と起き上がり字幕。

この会議、中国と朝鮮が仲間で、日本丹波だけが激怒して浮いているのは意外と正確なのだろう。この猫にどうやって鈴つけようか悩んでいる具合だ。無論事実は、朝鮮が中国の支援を頼んだのだ。そしてすぐさま「宣戦布告」の起き上がり字幕、出兵の様子に合わせて日本陸軍が大合唱されるが、この歌の発表は明治37年だから嘘。ここからして脚本家は考証などする気がないのがよく判る。

農民高島忠夫に召集令状、高島は令状を拝んで喜ぶ。内に民主主義、外にアジア主義の時代、国中が好戦的で沸き返ったのだった。義勇兵も大勢志願したらしい。育ての親の祖母はお馴染み五月藤江さんとの別れの挨拶。「お国のため、立派な手柄立てておくれよ」。木造輸送船での出征、岸壁の別れ。「あの若けえ者が死ぬなんて、南無阿弥陀仏」と藤江さんは唱える。以下、富士山麓での兵隊さんの苦労もときどき描かれる。喇叭放さない木口小平和田桂之助もほんの一瞬登場して鮮血が飛び散る。

アラカン天皇は若作り。報告の会議。サーベル片手に新橋から豪華なお召し列車で広島大本営へ。戦果が上がると労いの電報打てと指示したり、神社に礼拝の帰り、坂道で大八車押す農民に金貨渡したりしている。広島臨時国会議事堂で戦捷祝賀会、大元帥閣下御製の黄海海戦の歌が音楽隊演奏。

皇后高倉みゆきは兵隊用の包帯畳みながら、戦地の傷病兵に想いをはせ、仁川野戦病院には皇后の特使が訪問、菊の御紋の封がされた包帯が回される。中国兵にも回される。赤十字活動と解説されているが、皇室御手製に重点が置かれているのは明らか。皇室はやたら財産持っていたのだから、こんなボランティアせずにもっとドンと支援できただろうに。天長節に広島へアラカンを訪問して挨拶、やたら気遣う。広島予備陸軍病院にお見舞い。傷病兵たちは参勤交代の農民のように正座してお出迎え。義手義足は敵の兵に与えるようにと指示ずる高倉。病院はどこにも「不撓不屈」という貼紙があるのが印象的。

陸軍は京城攻略し、中国兵が待つ平壌へ総攻撃、玄武門に向けて大八車の大砲連発。ひとり突撃して雪崩うって陥落。中国に侵攻、金州戦。突撃ラッパがやたら吹かれ、中国剣振るう中国兵に鉄砲で攻撃が何かアンバランスだが考証があるのだろう。大勢のエキストラで地平に黒煙が棚引き、迫力がある。

海軍は黒い煙吐く模型の連合艦隊12隻。黄海海戦、相手は世界に名だたる鋼鉄船ら北洋艦隊12隻、戦闘配置に付け、でパチンコマーチ(この曲は明治26年発表)。ドンドン撃ちまくり。大砲台座はグルグル回って頑張った美術だが、模型丸判りなのでまるで盛り上がらない。水兵は撃たれているのに幹部は甲板に屯して双眼鏡覗いているだけで気楽そうである。大勝利。

陸海軍共同で威海衛の戦い。水雷艦艇夜襲のプラモ。米国公使より、中国から講和の申込があったら受諾するや否やの問いかけあり談判。伊藤博文阿部九洲男は「米国の新聞も日本の正義を讃える論調」と云っている。陸軍は大本営を支那へ、海軍は反対。天皇曰く、それは侵略の野心を持つと世界の誤解を招く。この度の戦争は東洋の平和のためであるぞ。支那へ進駐することはならん」。

中国は相変わらずの藤田進へ和平申し出、威海衛の軍施設全部献納。丁汝昌提督は自決。敵ながら立派な武人とアラカンは褒め称え葬儀に配慮して一隻だけ艦を没収せず、日中合同で慰霊している。下関へ。日清講和談判。全権李鴻章勝見庸太郎は「この度の戦争は誠に不幸なことでありましたが、貴国の偉大な力によってアジア民族の優越さが世界に喧伝されましたと同時に、我が国の朝野の夢を覚ましてくださったことに感謝します」と述べ終戦提案するが、伊藤博文全権はまだやるぜと云っている。中国側は割譲は苦痛、賠償も多額と保留。そして壮士天知茂は路上で李鴻章を狙撃、厳重に処罰せよとアラカン。

しかし日本軍はまだまだ進軍、講和中なのになぜ休戦しないのか私の理解を超えている。北京を目指して太平山砲台攻略。死んじゃう高島忠夫。復帰した李鴻章に伊藤博文は「陛下のご祭祀(?)により条件に手心加えた」。台湾は略もされていないのに割譲するのはおかしいという中国側に伊藤は、山東省は占領しているが割譲しろとは云っていない、ロシアにも攻略されていない黒竜港を割譲したではないかと抗弁。李は窓から見える艦隊について問い、伊藤は北京攻略、すると李の勝見庸太郎は実に複雑に哀しそうな顔して、中国は「貴国の講和条件を承諾します」。暴力団のやり口は戦勝国の常であろうか。講和で花火と提灯行列。

続いて露仏独の昔の国旗が三本立ち上がり、「日本全土の息の根を止めるような大事件が起こった」とナレ。外務省に覚書提出、遼東半島返還についてご忠告、拒否すれば重大な決意をしなければならない。壮士団がデモして唄うは軍歌元寇(明治25年発表)♪四百余州をこぞる十万余騎の敵。陸軍は海上封鎖怖れ、海軍は軍備消耗で勝算なし、アラカン「国民はどう考えているか」伊藤首相「世論は絶対反対であります」。アラカン御聖断、「東洋の平和のため、三国の勧告を受諾せよ。国民の不満には朕が答える」。泣く閣僚たち。アラカンは街宣行進に馬上から敬礼して、帰国軍人たちに勝利に奢らず臥薪嘗胆、わが国の進展に努力せよ」。国民は不満に答えてもらったのか提灯行列でバンザイしている。ラストはアラカン高倉の伊勢神宮参拝。演出は当時を謡う浪曲がときどき挟まれるのが面白い。

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