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[コメント] 煉瓦女工(1940/日)

戦前には殆ど見かけない、戦後はたくさんある現代長屋映画。本作は1940年に上映中止になり製作の南旺映画は傾き、1946年にやっと公開されている。何を戦前の検閲が隠し、GHQが隠さなかったかがよく判る。悦ちゃんが素晴らしい。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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原作は1940年当時よく読まれた小説であったらしく、これを受けての企画だった。『綴方教室』の二の線の企画だったのだろう。リアリズムはさらに徹底されている。小沢栄の硝子割る役立たずの親父も、信欣三の寝ている生徒を起こさない夜間学校の教師も、戦後の諸作そのままだ。宇野重吉はじめ全員が10年若返ったような不思議な感じを覚える。

矢口陽子から見た下層社会という作品で彼女は受け芝居。序盤は悦ちゃんの独壇場でハスキーボイスに蓮っ葉な造形が素晴らしく、こんな「汚れ役」も演じていたのかと驚かされ、強烈に印象に残る。捨ててこいと云われた猫を連れて廻り、あたい芸者になる(ここで怪しく瞳を光らせる演出)と金毘羅船々を三味線で歌う。親父の徳川夢声は浪花節を路上で唸り、悦ちゃんは宣伝して廻る。

三島雅夫が酒呑んで三好久子は内職。「貧乏人は子供育てるのだけが貯金だよ」と云う。清川虹子が借りた金踏み倒そうとして云う軽口「間違いとキチガイは江戸にもある」。63分の中篇で、越して行く草島競子が可愛いんだけど半端に終わるのが惜しい。彼女が煉瓦女工だったのだろうか。小説の解説がネットにあった。「戦時下、京浜工業地帯は日本の兵器庫と化し、潮田地区も労働者があふれ、独特の雰囲気に包まれていました。こうした中から生まれたのが、この作品です。」軍需景気があったのだ。

更に本作が傑出しているのは川向うの朝鮮人部落の描写で、日本映画がはじめて描いたものだろう。ヒヨコや山羊まで出てくる。屑屋の滝沢修一家の美術はそういうものだったのだろうと思わせられる。矢口の長屋よりさらに酷い。みんなニコニコして感じがいいからと矢口は遊びに行く。こんな天使のような分け隔てのない娘がいるものだと思わされる。滝沢の娘の椿澄枝の着飾った工場の職工との結婚式。屑屋さんも軍需景気なのだ。ハングルは鮮語とされている。矢口の女友だちは学校にいなくなる。最後は真面目に働く小沢の帰宅で陽気に終えられる。

(評価:★4)

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