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[コメント] 彷徨える河(2015/コロンビア=ベネズエラ=アルゼンチン)

傑作なのかどうか私の理解を超えているが、少なくとも唯一無二で忘れ難い。先住民たちはアジア系に近い顔立ちで本邦の名画座に屯しているオッサンみたいで、こういう者たちが「夢に従わねばならない」などと真理を吐くのに妙味がある。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







先住民でも外部との接触に濃淡があるのだという描き分けが興味深く、それは白人も同様なのだった、という感想が残る。学術による理解はキリスト教や資本主義とは違うのだとの差異が強調されている。三人組と二人組、ふたつの話が交互に語られ、時代的に前後するのか並行するのか終盤まで判らない話法が取られる。しかし同じ住まいがヒントのように登場し、岩に描かれた画が通底する。

三人組。カラマカテという一人暮らしの筋骨隆々のシャーマンの処へ舟漕いで来るマンドゥカ、具合の悪い白人テオドールを運んでくる。つけている首飾りはコイワノ族のもの、川上に生き残っていると証言。コイワノ族は白人が滅ぼしたのだと怒ったカラマカテは一晩考えて夢のお告げもあり、族の持っているヤルクナで助かるからと捜索が始まる。煙を吹きつけて白人を治療するとき、白人の鼻から煙が逆流して吹き出る様がキュート。これはラストに強調される。マンドゥカは借金返してくれたテオドールを、白人達に対して我々の保護をしてくれると信頼している。

二人組。白人がひとり舟で川下りして老いた先住民に出会い、薬草ヤルクナを探していると云う。それがないと助からない。先住民がまず問う「私が見えるのか?」がイカシテいる。金渡しても受け取らず、しかし薬草を調理して渡すと取引が成立。

三人組の川下り。ある部落で一泊。白人はコンパスを盗まれ、部族の長は無言で一方的に取引の交換物を差し出す。返してくれと主張しても全く相手にされない。盗難はいけないこととはされていないように見える。原初的な交易のあり方が仄見えてとても面白い件だった。星を見る能力が劣化すると嘆くテオドールに対し、白人は学びを拒絶するのかとカラマカテは批難するのだった。

舟担いで進む密林で天然ゴム採取(ゴムの木の白い液をバケツに溜める)を発見し、マンドゥカは怒って荒らし、出てきた片腕の白人の奴隷らしき男が殺してくれと云うので猟銃を向ける。これに怒ったカラマカテはマンドゥカを白人かぶれの「カボクロ」と云って貶す。カボクロというサンダルがあるが、本来はブラジルの「下層の田舎者」を指すとのこと。勉強になった。次の場面では妻への愛の手紙を口述筆記させる白人を先住民のふたりが聞いて、こんな面白い話は始めて聞いたとばかりに爆笑する。この断片など、欧米の夫婦愛にイマイチ馴染めない日本人に近しいものがあるように思う。

洋風の集落に彷徨い込む。カプチン会という布教施設で老いた神父が現地の子供たちを教えている。人を喰う習慣を遠ざけるため孤児を養うのだと語る。コロンビア大統領の銘板がある。シャーマンは子供たちに伝える、白人は禁忌を無視しているからジャングルから食料が消える。夜中に子供たちを鞭打ちする神父(カソリック的な光景だ)を殴り倒し、子供たちを解放して三人は去る。

二人組のほうが久々に登場する。さっきのカプチン会施設、出迎えたのは今度は大人。KKKみたいな頭巾被った者に包囲され、子供が磔にされたり自らを鞭打ちする者がいたり、先住民を救うのだと放言するキリストみたいな長が妻を治せと命令し、治って祝宴。カニバリズムが始まりそうになり、ふたりは逃げるのだった。この件は品のいいホラー。

三人組。白人は狂ったように魚を喰らって気絶。石の階段のある立派な集落に辿り着くと住民たちはヤルクナ呑んで、毒キノコ喰らってハイになったように狂笑している。カラマカテはヤルクナを栽培するなと大量栽培している樹木に火を点け、追い求めていた白人はマンドゥカと逃げる。

両者とも荷物を捨てろと繰り返していた。二人組の方は白人がついに荷物を捨て、残った手回しレコードプレーヤーでバッハを聴く。「何を唄っている」「神の天地創造」「その話に従うがいい」「所詮は作り話だ、従うことはできない」「作り噺ではない、夢だ。夢には従わねばならない」。

とんでもない絶景の丸い岩山に登り、先住民はヤルクナを見つけ、残存するのはこれだけ、他は全部自分が焼いた(で話が繋がる)、これは君に使う。白人は高純度のゴムで武器つくるためと本音を云い対決。老いたカラマカテは昔に君を殺したことがあると薬を呑ませる。

若きカラマカテは最後に目と口から光を放出し、宇宙と同化し、サイケなデザインになってしまう。二人組と三人組と、先住民は同一人物だったが、どうやら白人もそのように扱われている。チュジャチャキとは魂の抜け殻、例えば写真を指していたが、君も所詮はチュジャチャキだと云われていた白人も最後にはコイワノ族と呼ばれるのだった。冒頭に「私もまた別人へと変わった」との字幕が示され、最後に二人の探検家の日記から採取された物語と注釈が入る。

(評価:★5)

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