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[コメント] 日本妖怪伝 サトリ(1973/日)

人の心を読んで喋り、人は考えることができなくなり、人を追い詰め食べてしまうサトリ。秀逸な設定は茫漠とした終点に向かい、OPタイトルバックの線路の空撮と円環を描く印象。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







シュニッツラーの小説にもあったが、心のなかで考えていたことを口走ってしまうという体験は恐ろしいものがある。内面、心の中他人に決して知られないというのは人間のひとつの条件で、これが覆されると人は正に追い詰められるだろう。考えることができなくなり、しかし人は考えてしまうものであり、ジレンマで死に至ると云われる。それは分裂症の体験だろう。

緑魔子はサトリの山谷に取りつかれている。しかし上記のような心配はないらしく、共依存している。緑は内面のないような人だ(桃井かおりの先達のようだ)、。「人間は自然のなかで自分の心だけがお喋りをする」と山谷は云う。いい科白だが、緑や河原崎はそれが該当していないように見える。

緑と河原崎は駆落ちしてヒッチハイク。トラックの運ちゃんが云う。「駆落ちは一揆に似ている。どうにもならないから走るが、必ず潰される」。明け方に丸山圭子のテーマ曲がかかる。田舎を出たかった男の千切れた腕だけが汽車に貼り付いて上野駅に到着するという無残な話が挿入される。自衛隊の看板の掲げられた町で、河原崎が乞食して小銭を稼いていると、「額に汗して働け」とチンピラが右翼のように絡む。ふたりがどんどん進んで限界集落に至ると山谷が出てきて私が招待したと語る。

渡辺文雄が出てきてもうひとりのサトリの話になる辺りは話が渋滞している。結局、河原崎は件の福祉国家を語るチンピラに殺される。山谷も紅白の羽根で伝説に沿って殺される(彼の眼は人の意志を反映しない火に弾けた橡の実で潰されていた)。共依存の山谷を失って緑はどうなるのだろう。さらに孤独が増すのだろうか。その辺り映画は特に念を押さず、観客の解釈に任している。

緑を分裂病の症状ですと診断する精神科医の佐藤慶が面白い。入院患者の吉行和子が看護婦と衣装交換して佐藤を揶揄っているい。佐藤は電気ショックかけるぞと『カッコー』の時代らしいブラックユーモアを飛ばし、吉行は「6号病棟」よろしく佐藤慶を病人扱いしはじめる。山谷は佐藤慶に「キチガイは犯罪予備軍と思っていますね」と読心している。バッハの受難曲みたいなテーマ曲はキリスト教を召喚してしまい、土俗的な物語と不釣り合いの印象。

(評価:★3)

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