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[コメント] 岸辺の旅(2015/日=仏)

寺山テント系死者との交流譚少女漫画仕様。即物的な描写は面白いのだが、あの科学講義には失望。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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思えば冒頭の浅野の出たり消えたりとか、小松のよく判らない言説などから、幽霊のルールを深津が理解して行く話なのかな、と考えたのが間違いの元で、気づいたのは風景の滝がえらく『八月の狂詩曲』を想起させたことから、そうかこれはクロサワの『』みたくノンシャランなオムニバスなのだと軌道修正、想えば『トウキョウソナタ』など物語横滑りの秀作だったのだからこれもありなのだろうが、観終わればどのエピソードも想定範囲内で驚きに欠ける。

むしろ一貫しているのは、何でもできる亭主自慢とか、少女の幽霊へのプチ指導とか、悪役蒼井(逆に彼女には儲け役になった)への忍耐とかで繰り返し強調される、深津の少女趣味な物語だろう。彼女一流の演技がズボズボにはまっており、これにはちょっとついていけないが、悪い訳じゃない。

頭が痛かったのは浅野の科学講義。ゼロ=霊界によって世界は支えられているときた。しかもノンシャランのままでいいのに、どうやらこれで全体を説明するらしい。昔のニュー・サイエンスと同じではないか。オウム以降、この手の似非科学講釈は粉砕されたと思っていたが、またぞろ出てきた。魂を唯物論的に擁護する蓮實先生の門下生はなぜか唯心論的な演出家が多く、『黄泉がえり』などその筆頭だろうが、黒沢もついにこの列に並んだと見える。ゴダールから遠く離れること果てしなく、これでいいのだろうか。私は不満だ。例えば寺山の死者はひとの常識を揺るがすために出てきたが、スピリチュアルブームの死者はひとを癒すために出てくる。かつての前衛手法が今や共同体の護符とは隔世の感。末期医療の必要など謳われるが、似非科学で騙されて喜ぶ年寄りにはなりたくないと思う。

あと、何が岸辺なのかよく判らない。『岸辺のアルバム』のほうがよほど映画的なロケーションだぞ。

(評価:★2)

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