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[コメント] 白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々(2005/独)

裁判長の「帝国の金使って学生しているのに裏切った」という論法が本邦ネトウヨと同じなのが興味深い。ファシストの国民と国の関係は基本的人権に係る権利義務ではなく金銭の貸借関係なのである。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







激しい殉教の物語。ブレッソン『ジャンヌ・ダルク裁判』が当然に意識されているだろう。

映画はドイツ敗戦間際を扱っている。もう敗戦は明らかだからこれ以上の犠牲は止めるべき、というのが檄文の主張である。広義には、ユダヤ人や精神障碍者への迫害も語られ、調査官は「ユダヤ人は自ら移住した」と抗弁するのだが、狭義には戦争の収束が主張されている。これが大日本帝国下でできただろうか、と思う。例えば大岡昇平のような知性でも、「レイテ戦記」ではこのような発想は書かれていない。一矢報いるのに快哉を叫んでいる。敗戦はすでに明らかと知っているのに、軍ではなく仲間の軍人のためにそうする。大岡ですらそうなのだ。本邦はかくも集団主義である。

比べて本作が浮かび上がらせるのはやはりキリスト教という国を超えるものだった。同室の(無神論なはずの)共産党員との別れに際しても神が語られる。ナチの調査員は「神は存在しない」と興奮して取り乱す。ジャンヌ・ダルクが召喚されている。ユリア・イェンチ好演。「誇りに思うわ」の一言が忘れ難い。ベストショットは突然に抽象的なギロチンで余りにも恐ろしい。

作劇は演劇的でしばしば人の名前だけで進行するがこれがリアルだと思わされる。すごいのは裁判の光景で、真っ赤な法衣(ナチの旗の下地と合わせるのだろう)着た裁判長がハイルヒトラーから初めてひとり喋り倒す無茶苦茶は、裁判とは呼べない代物だ。これはどこまで写実でどこからディフォルメなのか。たぶん全部が写実なのだろう。彼の「帝国の金使って学生しているのに裏切った」という論法はネトウヨみたいなものだ。彼等の国民と国の関係は基本的権利義務ではなく金銭の貸借関係なのである。

(評価:★5)

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