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[コメント] シテール島への船出(1983/ギリシャ)

アレキサンダー大王』に感動して、封切りに駆けつけ、余りの相違、平凡さに茫然とした。今にして思えば、あのとき映画の歴史は動いていたのだった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本作は前衛の時代の幕引きをした作品だった。『旅芸人の記録』における、アメリカ国旗をテーブルから引き抜く少年の超人的な痛快さを過去のものにしたのであり、本作のアメリカ客船に取り残される件は対照的だ。何故かは知らない、そういうことになったのだ。「CINE VIVANT」のパンフに(何故かいつもの蓮實・武満対談はなく)柳町光男が「判りやすいアンゲロプロスがいい」などと書いていた。本作と前後して、日本映画でも少数の例外を除いて前衛映画など撮られることはなくなった。

アンゲロプロス本人がこう語っているのを最近知った。「時が経って物事が変わってきました。私も『旅芸人の記録』の時代から変化を遂げました。『シテール島への船出』以降、私にとって歴史はもはや前面にあるものではなく、人間の他の諸条件とほとんど同じレベルか、それよりも少し後ろに位置づけられるようになりました。/そうした人間存在は、歴史を被る人たちであって、歴史を生み出す人たちではありません。私の政治的な時期には、そうした人間は歴史を生み出すものだったのですが」(『エレニの旅』DVD解説 紀伊国屋書店)

そしてこれ以降、アンゲロプロスは歴史の哀しみに立ち尽くす「人物」を撮り続けた。それははたして成果と云えるのか。例えば本作の老いた革命闘志の帰還。いかにも甘く(墓場での老人のダンス)、いかにも通俗である(老人をあんなリンチにかけるだろうか)。私は失望しか覚えない。ヒューマニズムの語り手として、アンゲロプロスは単線的で下手糞である。映像の美しさは本作でも比類がなく、とりわけ廃墟のようなフェリー・ターミナルの貧相なリアリティが印象に残るが、『アレキサンダー大王』以前の傑作の応用に過ぎない。

想像力は死んだ想像せよ、と書いたベケットは幸福な作家で、その次の時代を生きたアンゲロプロスはやはり不幸だったと思う。「歴史を生み出す」人間を撮り続ける必然性を彼がなぜ失わざるを得なかったのか。考えてみる価値があると思う。

(評価:★2)

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