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[コメント] ゴッドファーザーPARTIII(1990/米)

前二作と比較すると、随分と白々明るい画である。ゴードン・ウィリスの撮影が演出・テーマと不可分であった前提を踏まえると、意図なくこういう撮り方をするとは思えない。今作では、「曝す」ということに重点が置かれていると思われる。登場人物達の老い、愚かさ、哀しみ。彼らは疲弊し、隠れ、隠蔽し、肯定しようとする。しかし、彼らを許さず、光を当てる者がいる。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







光を当てる者、つまり贖罪を許さない者とは、やはりフレドをはじめとした死者達であろうということは多くの観客が感じることだろう。これは登場人物達の罪悪感を目撃し共有してきたからこその感じ方であって、前二作を回想しつつ、かつリアルな10数年のブランクを経て展開される悲劇に自らの時の重みを重ねる面白さは確かにある。映画内世界で完全に「歴史」を作ってしまった映画は、確かにこれをおいて他にはないように思われる。

登場人物達は「和解」や「融和」や「老い支度」を急ぐ。暗黙の了解による忘却すら含まれる。唐突に見えるほど性急で愚かだが、その愚かさや焦りの中にこそ「赦されたい」という悲鳴のような思い、人間の弱さが宿る。その思いを許さず、罪を重ね、嘘をつくことを果てしなく強いるサディスティックな展開。神に届こうとして届かなかった人間が裁かれる物語である。あからさまに死者をマリア像に憑依させて裁く画がいささか抹香臭いとは言え、この筋自体に悪いところはない。全てを失うための旅路。帰るべき故郷すらも失ったパチーノの声にならない慟哭はやはり胸打つ。

基本線はいいのだが、演出上で疲れが見られ、どうにも惜しい。フラッシュバックはやはりどうかと思うし、ニーノ・ロータのオリジナル楽曲の挿入タイミングにキレがない。故郷を失った悲劇を際立たせるなら、メインテーマはアンソニーの弾き語りとエンディングで挿入するだけで良かったと思う。他のオリジナルテーマも極力排除すべきだったろう。 また、ラストのカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲は反則技である。原作オペラとどこか共通項を持たせて重層性を持たせようとする試みも今ひとつ。 キャスティングについては、五丈原後の三国志みたいな寂寥感が逆に好ましい。

(評価:★3)

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