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[コメント] 舞台裏(1914/米)

実人生を映画に投影するチャップリンの作劇術の萌芽が見て取れるSO-SO作品
junojuna

 ご覧のとおり、チャップリンが老人の部下(部下かどうかわからぬが力関係は上下)を徹底的に虐待するという驚きのパフォーマンスがショッキングなイメージを喚起させるといったチャップリンのフィルモグラフィにおいても特異な位置にある作品である。しかし、このいわれのない八ツ当り的な暴力性こそ、チャップリンが本作において、意識的、無意識的は問わずとも、衝動的に表出すべき志向に駆られた本質ではないだろうか。ここでは人間の社会的な規範における力学的関係性において人物相関が語られる。道具方チャップリンにおいては、老人というチャップリンから見れば肉体的弱者に対する抑圧の発散対象があり、その逆チャップリンにおいては、怪力男、金満家といった肉体的、社会的強者からさらされる圧力がある。いわずもがな社会とは力への意志に偏在する力学的な地平であるが、映画という特殊な世界もまた監督という絶対者によって定義される集合野である。少なからずチャップリンはそうした権力の横暴さが肯定される世界に身を置いた我が身を、劇空間という虚構の中で象徴的に描くことで反芻する立場を得たのではないかという憶測は刺激的である。しかし、このチャーリー黎明期、粗製乱造ともいえるキーストン時代21作目において、いくら反駁精神の旺盛な若者であったとしても、本作でそうした作劇を読むのは穿って見過ぎというものであろうが、後にヒューマニストとして呼ばれる彼のイメージを思えばこそ、この傍若無人な振る舞いは強烈である。彼の哲学のアウフヘーベンの成せる応えか、はたまた純真な創造性のいたずらか、ここでチャップリンを師と仰いだ手塚治虫が、ヒューマニズムは金のためと言いきったその物言いに、誰か芸術を思わざる。

(評価:★3)

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