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[コメント] 昔々、アナトリアで(2011/トルコ=ボスニア・ヘルツェゴビナ)

死体遺棄事件の実地検証という体裁をとったロードムービーであるうちは傑作(特に立ち寄った村で村長の娘が飲み物を分け与える場面)なのだが死体回収後、終らせ所を見失ってる感が半端ない。死体はマクガフィンでいいじゃないか。オフスクリーンの活用法も良いだけに勿体無い映画。
赤い戦車

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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前半と後半で別の映画に分裂している。犯人は死体を埋めた場所を明確に覚えておらず、警察らはあっちこっち連れ回されるわけだが、犯人への尋問、実地検証の様子は映されず、専ら車両の側で「待つ」側の人間が描写されていく。特に何をするでもない、待ち続ける倦怠を描くヴェンダースのような時間の使い方、車窓の撮り方はキアロスタミを想起させる。

こうした時間描写が頂点に達するのが、夜間に休憩のために立ち寄る村で停電になり、人物各々が村を彷徨いたり煙草吸って過ごしたりする場面。村長の娘が人物に飲み物を回していくシーンの美しさが輝いている。ようやく死体を発見し回収する時の犬、死体袋を忘れて(!)死体を無理矢理トランクに詰め込む馬鹿馬鹿しさも良い。120分ごろまでは傑作といえる。

で、まあここで終われば良いものをこの映画はまだ続けてしまう。「実は犯人違うんじゃね?」「実地検証の間に検事が話していた死んだ女は検事の妻なんじゃね?」といった伏線の仄めかしを律儀にやろうとするから。視覚上描くべきものはなくなっているのに伏線解説のため続ける、だから最後40分は恐ろしくつまらなかった。なんだか惜しい映画だなあ、とエンドロールを観ながら思ったのでした。

(評価:★3)

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