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[コメント] ブッダ・マウンテン 〜希望と祈りの旅(2010/中国)

冒頭、京劇を演じている役者と観客が映し出され、続いて入り口に佇む中年女性が映し出される。その後の会話から、彼女が京劇の先生であることが示される。或いはファン・ビンビンら若者3人組。彼らもまた、何者であるかは説明されず、心理も特に描写されていない。
赤い戦車

彼らが何故ディスコにいるか、何故列車に乗っているのか。何故パーティー会場にビールを運び、何故警官から逃げるのか。理由、原因となるものは本作から排除されるか、後から示される。ぶっ壊れた車を見つけると、次のショットでは既に乗り回している無茶さ。ここまでは良い。

となると、本作は「説明」をせず「運動」の驚きや「ショット」のサスペンスを追求した映画なのかと観ていけば、どうも違うようである。まず違和感を持つのはショット数が非常に多いこと。冒頭からジャンプカットが必要以上に目立つ。手持ちカメラの揺れも加わり、良いカットがぶつ切りにされているように見える。

次に、照明がいささか明るく、いまいち画面が引き締まらない。最後に、カメラが被写体に近付きすぎて心理的な画面になる危険性を増大させていること。これらが端的に表れているのが、金を取り返しにきたファン・ビンビンが頭にビンを叩きつけるショットであり、シルビア・チャンが死んだ息子の壊れた車に乗りこんで音楽を聴いて泣き、フロントガラスのヒビに指を触れるショットである。

後者に関しては浅い被写界深度で、バストショットとアップの中間程で撮られているのだが、他に動きも無いのでかなり窮屈。つまるところ、母親が泣くのを撮るため「だけ」に撮られたショットであり、最初から他の要素の混入する余地のないため。

あのガレージの大きさにもよるが、これがもう少し離れた距離から撮られていれば、或いはハラルド・ズワルト「ベスト・キッド(2010年版)」の中でジャッキー・チェンが死んだ息子の乗っていた車といかに向き合っていたか、以上のことを考えると、惜しい映画だなと思う。

逆に良い例としては、死んだ息子の恋人がシルビア・チャン宅を訪れた際罵られ、それを三人組が目撃する場面。ここは人物間の距離やケーキといった小道具、覗きのシチュエーションが効果的で、スリリングだ。

ここで持論を少しだけ述べておくと、「意味のある」ということは心理的であり、意味のあるもの「だけ」を撮ると心理的な傾向に画面が支配される。そうなると運動の驚きやショットのサスペンスは失われ、映画は映画でなくなり死ぬ、のではないのだろうか。

(評価:★3)

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