[コメント] 過去のない男(2002/フィンランド=独=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
私はこの映画を見るとほとんど全シーンで泣きそうになってしまう。いくら私の涙腺がゆるゆるにできているとはいえ、自分でも呆れるほどだ。まあ映画を「泣ける」「泣けない」で語ることほど下品な行為もまたないのだが、それほどこの映画は私の琴線に触れてくるのだ。
そのため、よかったシーンを挙げるとなるとすべてのシーンを書き出さねばならなくなってしまう。よって、ここではそのいくつかを挙げるだけに留めておこうと思う。まず救世軍バンドの演奏をバックに浮浪者たちがダンスを始めるシーン。ダンスシーンにきわめて弱いという私の個人的な性質は措いても、ここに横溢する幸福感はやはり出色だ。
マルック・ペルトラとカティ・オウティネンの「昨日月へ行った」「どうだった?」「静かだった」「誰かいた?」「いいや、日曜だ」「だから戻ったの?」「理由はもうひとつある」というふざけてはいるがロマンティックなダイアローグもよい。ペルトラはカウリスマキ映画には珍しく女性に積極的な主人公であり、そのためいつもとは趣きの異なる気の利いたダイアローグを聞かせてくれる。
また「銀行は強盗されるためにある」という映画原理に対するカウリスマキの忠実ぶりは微笑ましくもあるのだが、その銀行強盗の顛末は実にカウリスマキらしいひねりが加えられており、さらにそこからフィンランドの経済的現実をあぶり出し、人間の誠実さについてまで描いていく作劇術は見事の一語に尽きる。
ところで、この映画は確かに「おとぎ話」であろう。それは冒頭でペルトラが文字通り「生き返る」という超常現象の発生が端的に示している。記憶を失った男の物語を描くだけであれば「一度死ぬ」必然性はまったくない。これは一面ではカウリスマキ流のユーモアであり照れ隠しであろうが、この希望と優しさに溢れた物語を「おとぎ話」と明示した上でしか語ることができないカウリスマキの切実さを、私たちはもっと真剣に受け止めねばなるまい。
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