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[コメント] バンドレロ(1968/米)

大した映画ではない。が、終盤の銃撃戦にはちょっと驚いた。まったく感情を持たぬ殺戮集団として描かれるバンドレロ、その唐突な登場。いっさいのカタルシスが拒否され、延々と発砲音ばかりが響き渡る。ラクェル・ウェルチが犯されかける場面のカメラの視線も異様だ。ジョージ・ケネディの純情は泣かせる。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ジェームズ・スチュアートディーン・マーティンの追われる側の焦燥がほとんど描かれず不満。ケネディの追跡行にしてもそれは絶望的なもののはずなのだが、これも演出しきれていない。それがためにラストの非情さに唐突さが与えられていると好意的に云うことも不可能ではないが、やはり総体的には映画を緩くしている。緩いと云えばマーティンとウェルチのメロドラマもそうで、また、どうせそのようなメロドラマを繰り広げるのならば、それはケネディに見せつけてこそのものではなかったかと思う。ケネディと助手の若者アンドリュー・プラインの間には(擬似)父子愛とともにホモセクシャルな匂いがつきまとっており、興味深いが。

ところで、ここには確実に忍び寄る「七〇年代」の足音が聞こえる。それは何もケネディや音楽ジェリー・ゴールドスミスのためばかりではない(もちろんケネディもゴールドスミスも六〇年代以前からのキャリアを持ってはいますが、本質的にはやはり七〜八〇年代の映画人ではないでしょうか)。これはまぎれもなくマカロニ西部劇やサム・ペキンパー、あるいはアメリカン・ニューシネマと同時代のアンチ-ヒーロー劇だ。そこにおいても何とか「善」を体現しようとするところにスチュアートらしさがあり、それがまた「緩さ」の一因ともなっているのだが、いずれにせよマクラグレンほどの出自の人物をもってしてももはや正調の西部劇を撮ることができない時代だったのかとの思いを強くする(とか云いつつ私はさほどマクラグレンの映画を見ているわけではないのですが、それでも、たとえば二年後の『チザム』なんかは却ってより正調に近い西部劇なんですよね。しかしそれは物語の筋がどうこうと云うよりも「テクニカラー」と「ジョン・ウェイン」のためではなかったでしょうか。あるいは逆に、それらの半ば反-時代的イコンの導入をもってしなければ西部劇は正調性を獲得することができなくなっていたのだ、と云うことができるかもしれません。ま、そういったことと映画の面白さや美しさはそれぞれ次元を異にする問題ですし、また私としては「テクニカラー」「ジョン・ウェイン」はむしろ汎-時代的だ! なんて云ってみたいのですけどね)。

(評価:★3)

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