[コメント] 父親たちの星条旗(2006/米)
硫黄島と日本本土、硫黄島とアメリカ本土は見えない糸でつながっていた。
ミクロな視点から見れば、兵隊一人一人の「思い」という細い糸。マクロな視点から見れば、国家の総力を挙げて大艦隊を送る太い糸。どちらか一方の糸に焦点をあわせて物語を作るのも良い。だけど、2つの糸を対比させることで初めて見えてくるものもあるはず。それがイーストウッドの考えなのでは?イーストウッドは『硫黄島』で戦争の中の「人」を描いたのに対して、『父親たちの』では戦争の中の「国家」を描いた。
物語中、恣意的に都合の良い英雄像を造り上げる政府の様子は強烈なインパクトを残す。しかし、そこに憎しみを感じただけで終わるのは勿体無い。「硫黄島の英雄」の演出も、国債ツアーも、国家が戦争に打ち勝つための正当な手段、戦略である。戦争に翻弄されるのは個人個人だけでなく、アメリカ政府もまた然りなのだ。全く、この戦争という現象は何なのだろう?戦争を違う側面から眺めた2つの作品を観た感想は、この一言に尽きる。
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