[コメント] クンドゥン(1997/米)
作り込むほど、エスニックツーリズムな胡散臭さが現れるのは、作り物ゆえに当たり前だが、不可解なのは、その作り物の最たる毛沢東の額には、存在一般の持つ確からしさに圧倒されてしまう。
アレは、語り手の憎悪を体現するものであって、その憎悪だけがこの話では作り物ではないのだろう。
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