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[コメント] 彼女を見ればわかること(2000/米)

彼女を見れば――。赤いドレスと、赤い口紅。「見られる」事への願いとしての、赤。映画にとってもまた、赤はやはり特別な色だ。複数の物語であり、一つの物語。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







さり気なく登場する端役が、別の物語では中心的な位置を占めていたり、或いは逆に、或る物語の主役が、別の物語では端役であったり。映画という虚構の中では、実際には存在しない「いかなる意味でも主役でない、純然たる端役」が、自明の存在として現れるものだが、この映画はそうした前提を逆手にとる事で、虚構の行間に実人生を垣間見せてくれる。

五つの物語にそれぞれの形で描かれる、身近な人とのすれ違いは、いかなる人も他人の人生に於いては、結局は端役でしかあり得ないという事の表れ。劇中、一言も発しない赤いドレスの女、カルメン・アルバ(エルピディア・カリージョ)は、端役にされる事の悲劇の体現者であり、劇中の各物語の主役である女性たちもまた、或る面ではカルメンなのだ。

最初に描かれる、女医キーナー(グレン・クローズ)の物語の最後は、彼女が想いを寄せる男からであろう電話が鳴る中、目の前で老母がよろよろと歩いてくる状況で、ふいに途切れて終わる。選択に迷うキーナーの揺れる感情が、不確定のまま投げ渡された観客は、母と男、それぞれに対するキーナーの心的な距離を想像し、永遠に推測するしかない。

こうした、自分は誰を選ぶのか、や、反対に、誰に自分は選ばれるのか、という選択、他者との繋がりとその切断は、全篇を貫く一つの主題と言える。

妊娠を知った直後に堕胎を決めたレベッカ(ホリー・ハンター)は、帰りに病院の受付から持って帰ったキャンディーを、一夜を共にした部下の男、ウォルター(マット・クレイヴン)の枕元に置いて、独りその場を去る。そしてウォルターに「恋人になったつもり?」と冷たい態度をとる。これは、自分を妊娠させたロバート(グレゴリー・ハインズ)に対して抱く負の感情の転化、「男」への報復だろう。

だがまた、レベッカはウォルターから「悪い虫に気をつけて」と声をかけられるが、後の物語でこのウォルターとデートする盲目の女性・キャロル(キャメロン・ディアス)は、姉のキャシー(エイミー・ブレネマン)に同じ言葉をかけている。この事で、彼女もウォルターから同じ言葉をかけられたのだろうと推測できる。

レベッカは、ロバートとの気持ちのすれ違いがあり、ウォルターは、レベッカとすれ違い、キャロルは、ウォルターとすれ違う。レベッカは、エレベーターの場面で、文字通りウォルターと「すれ違う」。彼の残り香によって、盲目である自分が、その存在を無視された事に気づく。

胎児を堕ろした帰り道、泣いてしまうレベッカの傍らを、赤いドレスを手にした女が通りすぎる。カルメンは、帝王切開で子どもを生んだが、すぐに死なれてしまうという悲劇に見舞われている。自らの意思による堕胎を行なったレベッカとは、対照的な悲劇。だが、妊娠させた男と気持ちが通じ合っていないという点では、或る程度、悲劇を共有してもいる。

教師で、絵本を創作中のローズ(キャシー・ベイカー)は、思春期の息子にべったりで、向かいに越してきた小人症の男を「ドワーフ」と呼ぶ息子を窘めながらも、この男、アルバート(ダニー・ウッドバーン)に対しても、どこか息子に対するような保護者意識がちらつく。荷物を運ぶアルバートを見かけて車に同乗させるローズに彼は「知らない男を車に乗せるんですか」。他の車とぶつかりそうになって急ブレーキをかけた際も、ローズはアルバートの体を押さえている。

そんなローズは、息子が女友達と性交渉をもった事にショックを受ける。アルバートから贈られたと思しき鉢植えのお礼に行くが、呼び出しても出てこない彼に断りもせず侵入し、半裸で寝るアルバートの姿を見て初めて、成人男性のプライベートな空間に無断で立ち入った事に急に気づいて逃げ帰る。そして夜、向かいの家へと向かいながらも、為すすべが無いという態で帰宅し、眠る息子の口の匂いを嗅ぐ。息子には、この口臭チェックについて「もう最後だよ」と嫌がられていたが、他に自分を安心させる手段が無いのだろう。昔、短編小説を書こうとしていたというアルバートも言っていた、「孤独な作業だ」と。

この小さな男、アルバートが、ちょうどローズの息子と同年齢の頃に、恋人の事が理由で家出していたという過去は、ローズのみならず観客の僕らをも驚かす。加えて、彼の「サーカスで働いていた」という言葉から自然に連想した事もまた覆してくる「経理係だった」という言葉に再度驚く。つまり、小人症の男を一個の男として見ていない、つまり端役として一方的なイメージで捉えている事を、さり気なく突かれてしまうのだ。

同性愛者でタロット占い師のクリスティーン(キャリスタ・フロックハート)は、リリー(ヴァレリア・ゴリノ)に、昔、男の子からもらった番いのカナリアの雄の方を、掃除機で吸い込んでしまった事を話す。「でも、雌は憶えていないわ」。男の子であろうと女の子であろうと、子どもは欲しくないクリスティーン。だがリリーは男の子が欲しい。ここでまた、妊娠という主題に関する、また一つ別の悩みが現れるわけだ。

この物語中、クリスティーンが、部屋の窓の下を行く赤いドレスの女を見かける、短いショットがある。死に向かって歩いている筈の、カルメン。だがリリーは、望むと望まざるとに関わらず、死に近づいているのだ。全ての物語のその後が短く描かれる、映画の最終シークェンスでクリスティーンは、雄と雌の番いのカナリアを、独りで見つめている。リリーの不在、そして、リリーと一致し得なかった幸福観(「出産は女の幸福よ」)を見つめている。

盲目のキャロルが姉に縫ってもらう口紅は、彼女自身には見えないもの。純粋に、見られる事への願いの表象としての、赤。見てほしい、存在を認めてほしい、という意志は、全篇を通して一言も発しないままの、冒頭から「死んだ女」として登場する、あの幽霊のようなカルメンのドレスの赤にも、強烈に表れている。

この作品に限らず映画に於いて、この一点に注目させたい、というとき、選ばれる色はたいてい赤、という印象がある。警戒色と呼ばれるだけあるが、それだけに、この映画にあって赤は、「Look!」と無言で呼びかける切実さの色だ。

(評価:★4)

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