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[コメント] ゼラチンシルバーLOVE(2008/日)

「見ること」に淫した作品。その正当化の為の、必要充分な台詞とプロット。静謐で硬質な、動く写真集。変貌を繰り返す宮沢りえの姿は、抽象的かつ普遍的な「女」への視線へと永瀬正敏≒観客を取り込んでいく。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







謎の女・宮沢は殺し屋であったのだが、彼女と永瀬が殺しの現場で遭遇するシーンで、宮沢はソフトクリームを舐めている。即ち、食べる行為と、殺しとの隣接。宮沢の監視・記録係としての永瀬は次第にその仕事の枠からはみ出すようにして、女の口へのフェティシズムへと傾いていく。前半、永瀬がスパゲッティを食べようとしていたり、歯を磨こうとしているさなかに、記録用のビデオ・テープを交換するタイミングを知らせるベルが鳴る。そうして、最初の内は煩わしさという形で宮沢の存在が永瀬の生活に干渉してくるのだが、宮沢が食するゆで卵を媒介として、永瀬が主体的に宮沢の存在に迫っていく形へと移行していく。スパゲッティを食する、或いは歯磨きという行為もまた既に、口唇性というテーマに従っていたと見ることも出来るだろう。

宮沢を監視し続けている永瀬は、彼女に魅入られ、精神的に取り込まれていくのだが、そのことは、宮沢が食べるゆで卵と同じ調理法で永瀬もまたゆで卵を口にする、という行為を通して描かれる。宮沢と同じストレッチを永瀬が行なう、という描写もあるが、殺し屋としての宮沢の破壊性は、彼女によって砕かれた卵の殻によって示唆されているようにも見えるし、ラスト・シーンで宮沢が永瀬の部屋で見つける、夥しく貼られた写真もまた、宮沢が卵を口にしている光景なのだ。言わば永瀬は、宮沢の一挙手一投足の美によって、精神的に彼女によって食われ、呑み込まれてしまうわけだ。そのことが最も露わなのは、ディスプレイに映し出された、ゆで卵を食べる宮沢の口に辺りに永瀬が頭を置いて、横たわっているカットだろう。だから、バーの女主人(天海祐希)とすれ違っても、互いに声をかけることも、視線を交わすことさえもないのだ。もはや永瀬は、宮沢に呑み込まれ、それ以前の自分は殺されてしまったのだ。

スーパーで宮沢を待ち構えていた永瀬は、嬉々としてゆで卵の茹で方を語るが、その最後の「一秒の誤差も許されません」という言葉は、永瀬が現像液に浸けた写真が、一瞬ごとに黒さを増していった光景を想起させる。その、微細な感覚を研ぎ澄ます緊張感は、この映画そのものに徹頭徹尾、充ちていたものでもある。このシーンで宮沢に無視された永瀬は、絶叫して絶望し、その後、監視に使っていた部屋で、彼自身がバスタブの中に浸かっている。

永瀬が天海に語る、砂漠の虫の話――逆立ちして一晩中、夜露を溜めていたその虫が、露を口にして絶頂の瞬間を迎えた時、太陽が昇って蒸発してしまうというその話は、永瀬の死の瞬間の暗喩でもある。永瀬にとって、何が絶頂であったのか。それは、永瀬が対象を捉え、我がものとする、カメラのshotが、宮沢の、対象を殺すshotと一致した瞬間に彼の死が訪れたというところにある。その一致は、部屋の闇の中での閃光という、画的な一致によっても実現されていた。

ラスト・カットの、画面右側に置かれたディスプレイに映し出された、「動く画」としての、だがその場には不在の宮沢と、画面左側で座したまま死んでいる、「動かざる画」=死体としてその場に在る永瀬。宮沢はここでもやはり、卵を食べている。食べられたのは永瀬であり、もはや動かなくなった彼は、砕かれた殻のようなものだ。

(評価:★3)

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