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[コメント] プロデューサーズ(2005/米)

脚本家、演出家、出演者、それぞれに最低な人材を集める過程は『七人の侍』風の「仲間集め」のワクワク感を醸し出すが、余分なシーンが多い反面、多様な最低人間の凝縮度が足りない。結果、肝心の「最低のミュージカル」の最低ぶりも半端なものに。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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出演者のオーディションに関しては不完全燃焼ぎみであるし、美術なり音楽なり、他にも最低な連中を集めるシーンが欲しい。所々クスッと出来そうな箇所もあるのだが、全体の雰囲気にノレずに不発。

ヒトラー役にされるのが、最初は脚本家、次には演出家、と、既に登場済みの手駒。バリエーション豊かに変人を集めよう、一人でも多くの最低人間をお客に見せよう、という気概が感じられない。最低人間ショーとしてはまだまだ全然足りない。その上、ウーラとレオのお色気ミュージカルなどという、面白くもないし不要なシーンが延々と続く。二人については「いつの間にかくっついていた」程度の見せ方で一向に構わないだろう。

肝心の「ヒトラーの春」が、観客に席を立たせるような劇から、一流の諷刺劇に転倒するキッカケが、急遽代役を務めたヒトラー役がカマっぽい、という一点に過ぎないのも弱い。またこれならこれで、彼が登場するまでのナチス讃歌は、もっと極端に荘厳かつ規律正しい演出で黒々しく上演してもらいたい。嫌悪から絶賛への転換が、大してドラマチックに感じられないのが何とも退屈。変人ゲイ演出家の手によるにも関わらず、演出に変態さが乏しいのも詰まらない。普通にナチス称賛をキチンと演出していてどうする?その演出そのものに大いなる勘違いが混ざりこんでいてこそ笑えた筈なのに。期待外れもいいとこだ。

牢屋でマックスが過去を一気に振り返る歌は、観客への親切心とその端折り方の可笑しさが相俟って好きなシーンだが、牢を電飾で飾り立てる舞台美術的発想はいただけない。ミュージカルはこうした、人工物の中で人工的に演じられていることの嘘っぽさが見えがちなのが嫌いなのだ。法廷シーンでマックスがサラッと外に出ようとして拳銃を背に突きつけられて戻るシーンや、ウーラとレオがソファを使って踊るシーンなど、舞台だから面白い演出をそのまま持ち込むのにもうんざり。

「ヒトラーの春」のシーンもたぶん、舞台では観客自身の笑い声によって、嫌悪すべきミュージカルから、抱腹絶倒の諷刺劇に転換するのが面白いのだろう。だからこそ、カマっぽいヒトラーの登場も効果的なのではないか。その観客役が予め映画のカットとして埋め込まれている辺りが詰まらない。だが、劇場の笑い声を折り込んだ上で映画にしてしまうと、『ライムライト』のように、家でテレビで見た場合は不発なシーンとして終わってしまうのが辛いところではあるが。

(評価:★2)

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