[コメント] THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(1997/日)
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『シト新生』のコメントにも書いたが、エヴァの完結編はTV版最終2話のとってつけたようなアナザーストーリーとするべきではなかったように思う。24話まではそれなりに一貫しているのだから、あと24話かければ、最初からリメイクする必要もなかったように思う。シンジは自らの意志でシ者を葬ったことを、退行でなく描くのでないとそれまでの流れと矛盾してしまう。あとゲンドウの性格描写がおざなりで残念。スターウォーズサーガのように、エヴァは新たに24話かけてゲンドウとユイそれぞれの物語を紡いでほしかった。
さて、本作で描かれるのは、しりあがり寿『弥次喜多 in DEEP』(1997〜2002) の描く世界とクリソツである(シンジとカヲル君の関係がが弥次さんと喜多さんね)。そしてしりあがりの方が遙かに深く完成度が高い。この作品の世界観が好きな人には絶対のお奨めである。
考えてみれば、エヴァTV版放送が1995〜1996年、『弥次喜多 in DEEP』の前身である『真夜中の弥次さん喜多さん』が1996年、本作が1997年の上映作品であることを思えば、これはその時代の通奏低音だったのかもしれない。庵野秀明はしりあがり寿の『流星課長』を実写化していることを思えば、お互い通じ合うものがあったのだろう。
だが、ここまでユダヤ/キリスト教をネタとして使ったのなら、もっとユダヤ/キリスト教の深みを物語に利用して欲しかった。単に意匠を借り受けただけの結末で、しかもオチが輪廻転生ではギャグにもなりませぬ。いちおう新4部作には期待することにしておきますが。
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