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[コメント] 妖怪大戦争(2005/日)

とりあえずあのオチについて。
JKF

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







俺は小学生のころ、週刊少年ジャンプで連載されていた『地獄先生ぬーべー』という漫画が好きだった。その中で「小豆洗い」が出てくる話があるんだけど、そのなかで妖怪小豆洗いは小豆をとぐ能力しかないと思いきや、人の心をも洗う能力も持っている、という設定になっていた。(詳しくはコミックス17巻をご覧ください)

本作を観たとき、そんなぬーべーのエピソードを思い出した。加藤はいわば人々の憎しみの化身であるので、小豆洗いがそういう加藤の憎悪や怨念を浄化したという意味を持たせたのかな、と思ったのだった。とすると、一部の人にしか、この作品のラストの本当の意味が分からないという、とんでもない映画になるわけだけどね。いやもう中盤の時点で、分かる人だけ分かればいいって雰囲気がプンプン漂ってるけど。

ところが、調べてみると水木しげるは、小豆洗いに関してそういう説明を一切加えていない。かの有名な鳥山石燕の百鬼夜行に至っては人をさらうこともある、とか書かれているらしい。妖怪の習性には様々な俗説があったりするとはいえ、この作品は主に水木しげるの作った妖怪像を基にしているはず。となると、コメディ・リリーフの妖怪から小豆洗いをただ無作為に選んだだけってことになるのかな。ただ水木しげるの一言を考えると、最後に小豆洗いを持ってきたことには、「ぬーべー」で描かれた小豆洗いの能力ゆえの必然的ラストと考えたくなっちゃうわけで。

ところで、神木隆之介の成長を通して描かれるノスタルジーは思いのほかしっかりしている。「物を捨てるな」とか子供に教育する気なんてハナからなさそうで、「大人になると失ってしまうものがある」ってことを認識する映画だった。タダシ少年もラストで、他人のための嘘をついたことで大人へと成長し始めた。素直にあらゆるものを受け入れていく純粋さがある子供にしか見えないものっていうのは確実にある。昔の自分の作文や、子供の発言の発想に時にビックリしてしまうアレだ。キリン一番搾り(ラガーでもザ・ゴールドでもいいけど)の味を知ってしまった人間には見えない世界だ。また、このレビューを書いた2007年12月において、『妖怪大戦争』当時に比べ明らかに成長した神木くんの姿を知ればこそ、タダシ同様に神木くん本人が大人へと成長する直前であったのだとわかる。撮影のタイミングとしては絶妙だったと言えそう。

で、ここまで書いてみて、この映画は、いったい誰をターゲットにしたんだろう、という根源的な疑問に突き当たったのだった。主題歌忌野清志郎だし。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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