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[コメント] 僕らの世界が交わるまで(2022/米)

ミニマルな設定・構成ながら、画面は緩みなく見せて好感を持つ。ハンディカメラ、レールを敷いたような屋外の横移動、カチッとした切り返し、硬軟取り混ぜてよく見せる。ただし、画質のヌケは悪い。一見して16ミリと思う。
ゑぎ

 ライブ配信。参加者たちの小さな画像が増えて行くパソコンモニター。オフで、中国人ファンへの挨拶の後、唄い出す声。高校生のジギー−フィン・ウォルフハードがギターを弾き唄う。投げ銭のお願い。同時刻に母親のエヴリン−ジュリアン・ムーアはDV被害者の救済シェルターで仕事をしている。本作は基本、この母子をクロスカッティングで繋ぐ構成だ。父親−ジェイ・O・サンダースも出て来るが、役割は小さい。彼がクラシック音楽(ショパン)をかけながら読書している描写は、あざとい対比とも感じられる。

 ただし、夕食のシーンで、3人のマスターショットと一人ずつの切り返しで見せる演出は、対話軸(想定線)が微妙に繋がれて、なんとも云えないスリルを生んでいる。あるいは、不穏な空気の醸成は、ジギーが取り付けた部屋のドア横のパトランプだとかも。この警告の赤色は、エヴリンが乗る赤い2シーターの自動車(ベンツのスマート)とも呼応しているかのようだ。この小さな赤い自動車の運転シーンはどれも、実にスリリングなのだ。

 一方、エヴリンの車での移動と、ギターを担いだジギーの徒歩での移動をそれぞれ引いた横移動でとらえるショットは目に気持ちのいい画面だ。これら画面造型も含めて、この2人は対照的に描かれ、それは中盤以降、加速していく。その端的なプロットは、ジギーのライラ−アリーシャ・ボーへの想い、エヴリンのカイル−ビリー・ブリックに対しての想いが加速していく描き方の部分だ。私は、エヴリンがカイルに対して大学進学を提案する様子は、恋慕の表出のように思えた。ちなみに、カイルはジョン・サクソンの若い頃みたい。

 そして、高校の事務室前廊下でのエヴリンとカイルのやりとりに、多分、かなり近い場所でのジギーとライラのやりとりが繋がれるクライマックスは、作劇臭いと思いながらも、昂奮させられたのだ。このケレンは良いと思う。カイルとジギーのロッカー前での交錯や、エヴリンが土地にシャベルを入れる写真とジギーの少年時代の初めての動画配信という「始まり」を表す二連打も上手い。尚、邦題は、プロットを表面的に捉えて原題の持つイメージを矮小化するものと思う。「交わる」では弱い。尊重とか肯定といったものが描かれていると感じた。

(評価:★3)

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