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[コメント] 熊は、いない(2022/イラン)

映画製作についての映画。それは真偽、いや偽物、嘘、ヤラセ、「演出」についての映画だ。まずは離れた2つの場所をワンカットで見せるファーストカット、これは実に秀逸な「演出」で驚いた。
ゑぎ

 このファーストカットは、ザラとバクティアールの密出国の手配の場面。路上を左へ270度パンする。クラリネットと太鼓の男。カフェの横道。この映画撮影パートも、ザラとバクティアールの現実を写し撮ったという体(テイ)の偽物なのだ。

 監督のパナヒは、トルコ国境に近い村に滞在して、リモートで助監督のレザや、撮影者のシナンに指示を送る。滞在先はガンバルの家。村のイベントで、婚約者の男女が川の岩に座って、村人から足を洗ってもらう儀式が挿入される。夜、レザがこっそりパナヒの元にやって来る。夜の国境間近の道路。特急便と云われる、密輸組織の自動車が土煙を上げながら走る。パナヒは、国境の丘まで連れて行かれるが、引き返す。その帰り道で、車に近づいて来る女性。「写真を渡して下さい、血が流れます」と云う。この写真をめぐるパナヒの現実という体(テイ)のパートの作劇も極めてスリリング。本作のタイトルは、パナヒが写真を持っていないという宣誓に向かう道での村人との会話から来ている。これも、真偽についての象徴だ。

 さて、全編、緊張感の途切れない映画だが、その中でも、撮影中にカットの声がかかったザラが、カメラ目線でパナヒをなじり始めるシーンには昂奮させられた。口紅を手で拭い、ウィッグを取る(これもマガイ物の象徴)。あと、些末な部分かも知れないが、パナヒがいる家屋の屋上へ通じる扉窓が真正面から見ると右に傾いていると分かるショットも私には驚きのあるモノで、こういう細部の集積がテンションの持続に効いていると思う。ただし、終盤、婚約者たちの岩が再登場する場面の見せ方は、作り物の造型だとしても、震撼とさせられると同時に、やり過ぎにも感じられる。

(評価:★4)

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