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[コメント] 破戒(1948/日)

木下惠介版。和紙に書かれたクレジットがめくられる。川の流れの画面に、字幕で人権に関する主張が綴られる。久板栄二郎らしい説教臭さも感じる。原作及び市川崑版(雷蔵版・1962年版)との比較を中心にまとめます(市川版を先に見て、原作を読んだ後、本作を見ました)。
ゑぎ

 まず、原作とも市川版とも大きく違う部分として、丑松(本作では池部良)が下宿する蓮華寺の場面回りをあげるべきだろう。第一にお志保(桂木洋子)の扱い。桂木は登場シーンで琴を弾いているのだ。ほとんどお嬢さん、といったイメージだ。また、蓮華寺の住職が登場しない、というのも大きい。お志保に手を出そうとする、市川版では中村鴈治郎が演じることになる生臭坊主のキャラクターが割愛され、面白みは減じているが、ノイズのカットにはなっている。あと、丑松の父親と牡牛との対決場面(原作では中盤だが、市川版では開巻に持って来ている印象的なシーン)も削られている。

 部落出身の活動家(著述家)滝沢修とその妻・村瀬幸子と、池部の三人が土手の上を歩く仰角横移動は木下らしい伸びやかな屋外カットだ。横移動の途中で、乳牛が現れる、という演出もいい。クライマックスは、滝沢が暴漢に襲われる場面から、池部が学校に呼び出され、父兄の前で挨拶をした後、子供達の前でも挨拶するという、怒涛の展開だろう。これは見事。こゝは市川版を超える演出力だ。また、この展開の中、池部が学校へ向かう途中で、街の通りを歩くのを、俯瞰横移動で見せる、この楠田浩之の撮影が、実は最もびっくりした部分だ。

 本作の池部・丑松を一貫して擁護する友人・宇野重吉のキャラが一番迷いのない徳な役。市川版の長門裕之以上に一貫性がある。また、桂木・お志保の父親で、零落した元士族を演じる菅井一郎も、ラスト近くで大きな働きをする、というのも本作の良い点だ。

 尚、原作にあるテキサスへの移住話は本作でも割愛されている。これは、これで、よろしいと思う。

(評価:★3)

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