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[コメント] あおげば尊し(2005/日)

ソフトフォーカスの画面に淡々と描写される、緩やかなひとりの教師の死への行進。それを見守る3人の異人たち…放送作家伊藤、元アイドル女優薬師丸、ベテラン声優麻生。しかし、この3人は作品のテンポを崩すことなく見事に一篇のうたを綴り終える。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







人間にとっての最後の締めくくりをどうするか…それを自分ひとりの力で決定できる者は少ない。加藤武はその中でも幸福な部分に入るのだろう。看取ってくれた家族たち、そしてひとりの少年に握られる彼の暖かな掌。

今の子供たちは「死の場面」に直面することが少ない、とよく言うが、かくいう自分にとってもそれは曖昧だ。4人の祖父母には悉く立ち会うことができなかったし、中学生の頃死んだ父は、すでにその数年前から植物状態だった。だから、死に至る者にとっての幸福がどこにあるのかは正直よく判らない。それゆえ、「これこそが死んでゆく者への思いやりだ」と断言できるものを家族がよく把握できないのは理解できる。

だが、問題はこれからを生きてゆく側にある。田上少年は「好奇心」から死体サイトを覗き、叱責する光一に、

「何事にも興味を示せ、と先生は言いましたよね。じゃあ何で死体に好奇心を持ってはいけないんですか」

と突っかかる。これに対しては、答えを出すことは教師であっても困難だろう。「死は厳粛であらねばならない」そう誰が、いつ決めたのか。こんな愚問に答えられない自分は、たまらなく悔しい。

光一もいずれ死んでゆく。その時、受け持ちの児童たちは、今の子らしい「あおげば尊し」に匹敵する「ある歌」で送ってくれるのだろうか。死ぬまで教師だった父だからこそのあの大合唱だったのではないのか。これからピュアな感性をどんどん傷つけられ、磨耗してゆく子供たちにそれを望むのは、いささか酷なのかもしれない。

(評価:★4)

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