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[コメント] 奇跡(1955/デンマーク)

カール・ドライヤー作品に一貫した信仰というテーマ性に基づき、静かな視点で描く奇跡には説得力があることは間違いない。だが、ヨハネスのキャラクター像に作為性を感じてしまったため、厳しく採点せざるを得ない。
Keita

**ネタバレ注意**
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 原題は「言葉」というだけに、台詞が中心の室内劇となっているが、あまりに台詞にやってばかり展開されるため、映画というより舞台に近い。カール・ドライヤーは『裁かるるジャンヌ』の徹底したクロース・アップ&仰角ショットなど、映画的表現を追求した作家に思えるので、そのアバンギャルドさがないのが残念でもある。

 しかし、テーマ性としては一貫して信仰についてを追求し続け、晩年に製作されたこの作品では、一線を踏み越えた境地に達したようにも思える。『裁かるるジャンヌ』や『怒りの日』では信仰による悲劇を描いていたが、『奇跡』では全く逆を描いた。悲劇を味わった際に、信仰心を深く持ち続けることにより、甦りを果たすという奇跡を描いた。その奇跡を、静かな視点で描き、死んだ人間が甦るというアンリアルな設定も、信仰というテーマ性の中で納得させる力を持っている映画だ。

 だが、どうしても採点を厳しくしてしまう理由が、信仰心が強いあまりに正気を失っているというヨハネスのキャラクターにある。ヨハネスのキャラクターは必要以上に宗教論を論じ、イルガの死を境に一度姿を消す。しかし、戻ってくると正気を取り戻し、奇跡を起こす上で大きな役割を果たす。この設定だが、妙に作為的に思えるのだ。最初から奇跡を起こすことを前提に、それを衒った役回りなのだ。他の人物に比べ、浮いた存在になってしまったことが否めないのではないだろうか。

(評価:★3)

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