[コメント] リバティーン(2004/英)
他の人が使わないような過激な言葉をぶつけ続けるジョニーさん。この人はその過激な言葉で何を破壊したかったのだろうか。何を求めていたのだろうか。 そこにいる人々はそのままに、かすみを切り裂き、歩き続けるジョニーさん。その先に求めるものは何だったのか。 舞台が好きだというジョニーさん。女優は化粧とライトとセリフで輝くという。暗い劇場の中、舞台にあるのは光だ。彼が求めるものは光なのか? 過激な言葉で意識と世界を解体し、その向こうにあるものを求める。もどかしそうに。語る価値のある男だと思う。 でも、この映画はその辺が分かっていない。 この映画には光がない。霧ばかりのもやもやした世界だというだけではない。世界の描写ももやもやあいまいだ。
「何時いかなるところでも抱く準備はOK」とか「そっちの方もいけるから用心せよ」とか思わせぶりのセリフはあるけれども、実際そういうシーンはなし。映画は“見る”ものだ。モノローグなんて補足でしかない。ジョニーさんは放埒な行動でも知られていたと言っても、実際に見せてくれなきゃ何の説得力もない。詩人というただでさえ“語る”人間なのだから、あれじゃ口だけと思っちゃうよ。
霧があるだけなら今と変わらん。霧の奥にあるあいまいなところ、ジョニーさんが求めた光、それを見せてくれ。言葉で描かれているものを、どのように受け取ったのか、画面の全てで表現してくれ。会話のシーンでピントずらすな。そのセリフをどんな表情で受けたか見たいんだ。
この監督さんはこれが処女作なのだという。この路線を突き詰めたいのなら、もっともっと深みと経験を身につけてほしい。フェリーニやビスコンティの頽廃には遠く及ばない。まあ、スコセッシも『エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事』で失敗しているし、センスではなく資質の問題なのかもしない。だとしたら絶望的だけれど。
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