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[コメント] GO NOW(1995/英)

極言すれば、MSがテーマではない。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







問題は如何に重く、如何に感動的に作るかではない。

鑑賞前、ビデオのパッケージかどこかに難病云々と書いてあったので、暗く重い話を想像していた。更に、主人公が最後に死ぬものとばかり思っていた。だからといって特に感動を求めていたわけではないが。

そんな自分の予想はかなり裏切られたといっても良いだろう。結論としては、全体的にサラっとした印象だった。重さは殆ど感じられない。

何よりも音楽が効果的だ。否、音楽の使用法が効果的といったほうが正しい。例えば重苦しくなりそうな場面で普通(?)の楽曲が挿入されている。これが過度なドラマティック性の排除に貢献している。この普通って表現以外思い浮かばないのだが、要するにポピュラーミュージックみたいな感じの曲(でしたよね)。否定的な視点から眺めると、この使用法は場面にそぐわない、とも受け取れるだろう。逆に、私のように肯定的な視点の場合、それは「敢えて」行われた、重さを軽減させる為のものだとも解釈できる。

主眼、ストーリーの焦点は典型的な難病モノとさして変わらない。そのため、自分の中でわずかだが既視感があったことは否めない。 

↑実は最初こう書こうと思ったのだが、事実にそぐわないので止めた(とかいって書いてるけど)。思い返してみたが私は現在まで一度も件の難病モノ映画を観たことはない(はず)。それだけ、ストーリーの展開に強い先入観を抱かせるようなステレオタイプな題材だったのだろう。難病モノと聞いただけで内容について似たようなイメージを頭に浮かべる人も実際多いと思う。

先にも述べたが、私も「重くて、病気の兆候の場面ではピアノの音がドーンと不吉に鳴り、最後は恋人に見守られて幸せな死を迎える」ような想像があった。実際に日本のテレビドラマだとこういうのやっちゃうんだろうな。それが悪いとはいわないけど。

だが、有り触れているようで、そんなイメージから見事に脱却できた映画だと思う。更にいうのなら、難病モノイメージより映画的に一段上の領域に達している。それは、音楽の使用法の為でもあるし、映画的な取捨選択の巧みさによるものでもあるだろう。イメージ通りに完成させることよりも高く手腕を発揮しなければならないのだから。

現実は映画ではなく、もっと深刻なのだろう。多分。

しかし現実通りの重い話を求めているわけではないのだ。

「ゴー・ナウ」は別にMSについての学習映画ではない。一人の男の記録なのだ。

主演はよく頑張って演技をしていると思う。この映画に注文をつけるとしたら、ラストの幸福な場面を恋人にではなく、主人公の友人に対して還元してほしかった。だって恋人は結局上司と寝てるじゃん(一応主人公を最も愛しているのだが、浮気するか?)。彼女と最後に結婚するシーンがあるため、その場面は不必要といわざるを得ない。

逆に友人達の方が人間臭くて大変良い。人にもよるだろうが、ちゃんとした友人は下らん遠慮などしないものと常々思っているので彼らの描写には素直に好感が持てた。いい奴らだ。なによりキャラが面白いし、もっと彼らに時間を割いても良かったのかもしれない。

健康は失って初めてその有り難さが分る、友人は失う前にその有り難味に気付きたいものだ。

(評価:★4)

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