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[コメント] 噂の二人(1961/米)

主題は飽く迄もカレンとマーサについて。他の全ては舞台設定の道具に過ぎない。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ラスト15分ぐらいに多くのものが詰まっている。この映画は邦題にもあるように《噂》が重要なキーワードになっているが、実はカレンとマーサの関係にこそ本質がある。「末恐ろしい小娘」メアリーに端を発する胸糞の悪い《噂》による周りの反応に目が行ってしまうが、《噂》の恐ろしさを描いた映画ではなく2人の心理の機微を描いた映画なのだ。

オードリー・ヘプバーンシャーリー・マクレインの大熱演。こんなオードリーは初めて見た。終盤までマクレーンが引張り気味に進み、ラストでオードリーにバトンタッチ。 それはマーサからカレンへの「生きる苦しみ」のバトンタッチだったのかもしれない。

マーサの自殺は秘密を暴露した恥辱と、以前までの関係の変化や崩壊に対する強烈な不安感によるものだろう。性的な志向であるか否かは定かではないがマーサにとって表面的には対等だった関係が、自身の発言により自分はカレンに対して報われることのない恋心を抱く求愛者という一段下の劣位的な、プライドのない立場へと堕ちてしまったのである。

悲しい話だ。だが同時にラストに何とも言いようのない鳥肌が立ったのだ。単に悲しいだけの物語ではないような気がしたのだ。

もちろんカレンは特別に深い友人を失ったのだから悲しみのどん底にあるだろう。ラストの葬儀で周りの人間に同性愛の疑いが晴れているか否かは明示されていない。しかしそんなことは彼女にとって問題ではなくなっていたのだ。屹然とひとり歩き出すカレン。もう彼女にとって世間の目は以前ほど重要な存在ではない。マーサは自分だけに真実を、思いを伝えそして死んだ。マーサを失ったそのとき、カレンも自分の心に気付いたのかもしれない。自分がどれだけ彼女を好きだったのか、そして「自分もマーサに(性的にではないにせよ)恋していたのだ」と。ラストのカレンの表情には悲しみとは別の、絶望的な悦びが浮かんでいるような気がしてならない。

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付則 巧いと思ったシーン(勝手な解釈によるが)

1;メアリーの策略がばれて祖母に睨まれるシーン

祖母は画面上大きく映されているが、対照的にメアリーは小さく映されている。これは2人の心理的な優劣の差が見事に表れている。尚、このシーン以後メアリーが登場しないことからも主人公以外は単なるお膳立てであることが分る。

2;終盤、建物を出たカレンがふと不安になり引き返すシーン。

走るカレンの姿がジャンプカットで描かれている。『勝手にしやがれ』では特に心理的含意を持たなかったこの技法は、ここではカレンの不安が徐々に高まっていく様を巧く表現している。

(評価:★4)

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