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[コメント] 若者のすべて(1960/仏=伊)

五兄弟についての五章立ての旅路。(レビューは作品後半部分の構成にも言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本作は五章立てという構成をとっており、各章毎に長男から五男までの各兄弟の名前が冠されている。しかし純粋なオムニバスのように各章でそれぞれ名を冠された兄弟だけの話が語られるのではなく、四男チーロの章、五男ルーカの章でもあくまで次男シモーネと三男ロッコの話が軸となっている。(このような構成方法は後の時代の『スモーク』などにも影響を与えていると思われる。)

それでは何故各章に兄弟の名が冠されていたのか。私なりの解釈では、五兄弟それぞれに体現されるものと、本作全体の家族についての話の筋が重ねられていたためではないかと思う。

結婚し自分の所帯を持つ長男ヴィンチェンツィオには、「築くこと」「始めること」が体現され、

強引にでも自分の好きなものを手に入れていく次男シモーネには「奪うこと」「勝ちとっていくこと」が体現され、

兄を救うために愛した女性をあきらめ、また暴力の行使を望まない三男ロッコには「道を譲ること」が体現され、

冷静な思考力をもち、兄への裁きを求める四男チーロには、「正義を希求すること」「「正しく」生きていくこと」が体現され、

そんな兄達の行動を見守っていくどちらかというと傍観者に近い立場の幼い五男ルーカには、「未来を求めていくこと」が体現されているのではないだろうか。(このような解釈は全体的にシモーネについての筋と重なる部分が多いが)

家族の話を背景にした哲学が本作のテーマであったような気がする。(そういえば人の命を奪うこと、それを嘆き悲しむこと(赦しを求めること?)、裁きを受けることなど『ジーザスの日々』に近い哲学的テーゼが、本作では登場している。)そう考えると、五兄弟は神話に登場する神々にも近い存在であったかもしれない。

考えれば考えるほど素晴らしく緻密な作品なのだが、どうも乗りきれない部分があるのも事実。娼婦ナディアの存在があまりにも不憫だったりするように、女性像のほとんどが受動的に描かれていて少し希薄に感じる。また出来事が次々と生じていくために、考えるだけの隙間、何かが焼きつけられる世界そのものの描写が乏しかった印象もある。(自分が五点をつけた作品にはそれが存在する)四男チーロと三男ロッコの対峙がもっと描写されていたら、本作に対する思考ももっと活発化させてもらえたかもしれない。(これでほどほどなのかもしれないが…)まあ、これを受けとめる私が、チーロの立場にはなれてもなかなかロッコの立場を理解できるほど人生経験を積んでいない青二才なのかもしれず、ひょっとすると将来もう一度観たら評価があがっているかもしれない、そんな作品。(★3.5)

*娼婦ナディアを演じたアニー・ジラルドが、はるか後に『ピアニスト』で主人公の母親を演じているのが興味深い。彼女は本作で五兄弟の母親といさかいを起こすが、四十数年後にはなんと争っていたはずの母親の立場になっている。この二作品の母親像はわりあい類似しているのも興味深い。時代の流れで変化したものは、核家族化と晩婚化?(半分冗談です)

*『EUREKA』から『若者のすべて』への旅をようやく実現できました。 

(評価:★3)

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