コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] エンジェル・ダスト(1994/日)

やはり石井聰亙は稀代の映画人。最初は怖い映画かと見ていたが、大きな勘違い。2度、3度と見て良く分かる、恐ろしいほど悲しい孤独な者達の映画だ。
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「絶頂ですか?」と尋ねる謎の教団(笑)や富士山が映し出されるシーンなど今見ると、一連の新興宗教事件を思い出させられる部分も多いが、監督に警鐘を鳴らすつもりは毛頭無かったかどうかは分からないまでも、そこに作品の重点は無いと思う。また同様に洗脳なども一要素に過ぎないだろうし、監督の興味の矛先は単なるサスペンスなどには向いていない。作品全編で貫かれているのは「孤独感」だと思える。単純に映像や音楽も凄いが、かなりのものを秘めている作品に感じられた。

静かな作品世界に一見ミスキャストに思える主演南果歩のハリキリ演技だが、あれも監督の意図であるように思える。「私は自分の意思で今の生活をしている」「私は自分の意思で動いている」と必死に己の孤独や無力を否定しようとしているように感じられ、節子というキャラクターの抱える孤独を上手く映し出せていたのではないだろうか。まぁ、あの髪型はどうかと思ったが・・・。また、夫(豊川悦司)が両性具有者という設定は一見荒唐無稽にも思えるが、あれは大胆ながらも巧み。刑事達とも馴染めない節子が作中唯一信頼し合っていたと思わせていた夫が「男ではない」と明かされる事で、突如としてこう知らされているのだろう、「二人の愛は必ずしも完全ではなかった」「節子は孤独だ」と。

そして、阿久(若松武)の洗脳はその孤独を利用する。「信仰」や「愛」といった自分の意思で選んだと思っていたものをひたすら否定された時、さらけ出される孤独を。だが、同時に人の心を手玉に取ったかのように振る舞う阿久も孤独。ラストシーンで彼は笑顔を浮かべる。不気味というよりもの悲しい。愛して欲しい女をああやる事でしか我が物に出来ない孤独な心。ひたすらもの悲しい空気だけが漂っていた。

どうでもいいけど、秋山仁が出てるのにはビビった。あの人の講演聞いた事があるので・・・。(笑

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)Lunch[*] 浅草12階の幽霊[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。