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[コメント] 迷子になった拳(2020/日)

作中で言及されたように1992年、ミャンマー・ラウェイという素手の立ち技格闘技があると知った。
ペンクロフ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







それは俄には信じがたい都市伝説のような情報だった。素手で殴り合うということは、どういうことなのか。ミャンマーでラウェイを見た人曰く、ガードディフェンスが機能しない。素手の突きはガードをすり抜けて入ってくる。素手なのでKO率が低い。これは意外だった。格闘家が素手で人を殴ったら死ぬんじゃないかと思っていた。しかしボクシングでよく見られる脳震盪によるノックアウトはグローブの柔らかさと重さがあってこそ起こる現象で、素手で意識を飛ばすことは困難らしい。ただし顔面はメチャクチャに傷つく。血も出る。傷によるストップが多い。ボクシングもそうだが失明の可能性もある。頭突き、故意でなければ金的まである。ラウェイのリングに上がるやつの勇気は凄まじい。92年に飛び入りでラウェイと戦った市原海樹は、当時日本の格闘技界でパンパンに幻想が膨らんでいたメチャ強い空手家だった。

これは格闘技興行として定着することは難しいだろうなと思った。すぐに1993年、UFCとパンクラスとK-1が旗揚げされ、格闘技元年に沸く一方でラウェイのことは忘れてしまった。初期UFCは素手で、金的ありの大会さえあった。我々は素手の顔面打撃を、ラウェイではなくUFCで目撃したのだった。94年には第2回UFC(金的あり大会)で市原海樹がホイス・グレイシーに敗れた。我々の研究対象はブラジリアン柔術へと移った(ひでえ)。

ハッキリ言って立ち技格闘技として洗練されてて見て面白いのはラウェイではなく、キックボクシング(ムエタイ、K-1など)の方だ。ただラウェイには何か特別なものがあるように見え… 絶大なリスクを背負って選手が素手で顔面を殴り合うことには、なにか厳粛な、崇高な、恐ろしいものがあるように思えたのだ。生で観戦したことがないから、確かなことは言えないが。その幻のラウェイを、今作ではゲップが出るほど見られる。

この映画はよくラウェイを撮ってるし、日本での受容の失敗と成功も描いている。野良犬興行における金子のロクク・ダリル戦は失敗で、中村祥之(この人もプオタにとってはいろいろある人なんだが)はミャンマーとラウェイへの敬意で興行をデザインして成功した。しかし成功したって失敗したって2021年現在、全世界的コロナ禍と軍のクーデターでミャンマー人を日本に呼べるような状況ではなくなった。今、ミャンマーでは国軍が毎日国民を殺している。

興行とは打ち上げ花火のような儚いもので、儲かっても一瞬、焼け死んでも一瞬だ。本当に死ぬ人も出る。興行は格闘技より危ない。そして選手は一夜リングでどんなに輝いても、翌朝からはまた苦痛と忍耐と努力の日々が続く。金子大輝はまったく危なっかしい男で、オカンが言うことはすべて正しい。いきなりカメラの前であのような説教をしたわけはなく、以前からたびたび言ってきた筈だ。90年代、格闘技雑誌では「彷徨える格闘家たち」という言葉が盛んに書かれたものだった。しかし現在の我々は、立派に見える興行団体だってウスバカゲロウのように儚い存在であることを知っている。だってPRIDEが潰れるんだぜ。K-1が潰れるんだぜ。ましてラウェイですよ。確かな明日があるとは思えない。

減量に失敗してキツく叱られていた渡慶次(とけし)幸平(元パンクラス)が、その後みるみるプロ意識に目覚めて観客論を語り、ミャンマーで結果を出して社会貢献へ向かうのはえらく唐突に感じた。もうちょっと詳しく描いてほしかった。

監督の一人称は正直言ってどうでもよくて、やるなら画面に出て登場人物としてファイターたちにガンガン介入すべきだし、やらんなら黙って成り行きを見せるべきじゃないかと思う。監督のAVでの方法論らしいが、あまりいいとは思えなかった。

(評価:★3)

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