コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ビデオドローム(1983/カナダ)

デビッド・クローネンバーグは聖デビッドになれるのか?
らむたら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







デビッド・クローネンバーグが「悪魔の詩」の著者のイスラム教宗教指導者による死刑宣告に興味津々だったのは想像に難くない。“表現(芸術活動)の自由”を追求することによって死をもたらされる。その不安と恐怖とそして恍惚。後の映画である『イグジステンズ』において、「ゲラーに死を!」という死の宣告がカリスマ的ゲーム製作者に下される。同様にこの映画でも「○○に死を!」というセリフが登場するのだ。『イグジステンズ』の場合は新型ゲームによる真に迫るバーチャル・リアリティが現実を冒すものと危険視した極左現実主義者によるテロが横行する。ゲームの体裁による“表現の自由”の追求の危機。『ビデオドローム』も“表現の自由”が脅かされるというテーマがクローネンバーグ風のグロテスクな味付けで料理されている。

はっきりいってよく分からない部分が多い。ビデオドロームを普及(布教)させようとしている組織と反組織はもともとは同一だったらしい。それが分裂した原因は“表現の自由”が追求された(=過激化した)ことに関して、一部の人達が危機感を抱いたことにあるらしい。この辺は難解だ。そもそも反組織の人たちの“表現の自由”として許容される程度が不明だし、“表現の自由”が性的および暴力的に過激なものであることは承知だったはずだから。なぜなら映像を見た人間へのビデオドロームの浸透をより効果的なものにするには性的および暴力的に過激な表現自体が最も効果的な触媒となっているからだ。故に性的および暴力的に過激な表現が手段として用いられることは、ビデオドロームの組織の人間なら当然の周知の事実であり、暗黙の了解だったはずだから。ところがその過激な表現を“表現の自由”の名のもとの反道徳的、反倫理的、反人間的なものとみなして、反ビデオドロームとして分派する理由が曖昧なのだ。考えられるのは、当初は必要悪の手段として容認していたものの、組織がビデオドロームのより一層の普及を図るか何かで、過激な表現さらに矯激化してしまったため、単なる手段の域を超えたものと考えざるを得なくなったからであろうか? 手段の目的化と考えた人たちが反ビデオドロームとして分裂し表現の過激さではなく、表現の過激さを防ぐためのテロを含めた行動の過激さへと走ったのだろうか?

分かりづらいのは組織がビデオドロームを見せることの意図がある意味高尚とも受け取れるような狙いを持っているからだ。性的および暴力的に過激な表現を映像で流す。その表現自体が、映像を見ている者にビデオドロームが浸透するための触媒なのだか、ビデオドロームが視神経を通じて人間にもたらす影響とは人間の新化なのだから。ビデオドローム=映像を見た者の脳内には腫瘍に似たものが発生する。時にはその腫瘍類似物によって脳内が圧迫されて絶命する者もいるらしい。しかしそれは腫瘍などではなく、新しい認識主体、つまり新しい脳なのだ。ビデオドロームによって新しい脳が発生して新化した人間はジェームズ・ウッズのようにグロテスクな幻覚が現実そのものになるらしい。この辺もよく分からない。新化した人間の認識と普通の人間の認識レベルが整理されておらず、時には混交しているのではないかと思われるほどの混乱を感じるからだ。もっともクローネンバーグが混乱しいるとはいわないし思わない。ただよく分からないのだ。ラストにしても新化したようでいて新化したのかどうか分かりづらい。もっと分からないのは人間を新化させようとするビデオドロームの組織の意図なのたが。新化することによって新たな表現やコミュニケーションの能力を獲得するのだろう。

新化させるための性的および暴力的に過激な表現という“表現の自由”が脅かされる。そこには“表現の自由”を追求する芸術家たるクローネンバーグの自負心に似たものを感じる。自身の追及する“表現の自由”が過激化することによって、反芸術的、反道徳的、反倫的理、反人間的の烙印を押されることによって、革新的な芸術家として抹殺されかねないことへの不安と恍惚。宗教的なタブーに抵触しない限り、現実問題としては死刑宣告されることはないだろうが、クローネンバーグの中では自身の“表現の自由”の追求が良識派を自認する人たち(モラリスト)のタブーに触れており、死刑宣告に値するものである、との芸術に殉ずる殉教者の悲壮感があるのかもしれない。それはかなり自己陶酔的なのだが。芸術に殉ずることによって後世において新化した人類によって聖デビッドたる聖人に列せらたいという不安と恍惚の入り混じった願望を抱いているのかもしれない。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。