[コメント] 逢びき(1945/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まずは不倫という、本来は許されるはずのない2人の関係を、モノローグという形で主人公に内面の思いを語らせ、こういう状況ならばあり得るかもしれないと観客に思わせると同時に、そちら側へと自然と引き込んでいく手腕が素晴らしいと思った。
もちろんここで忘れてならないのは、平凡な主婦という役柄を見事に演じきったシリア・ジョンソンである。ここでの彼女は本当に平凡な主婦に見えた。実はこれは非常に大切なポイントであると思う。主人公が平凡であればあるほど、物語はより現実味を帯びて我々観客の胸に迫ってくる。そういう意味で彼女は、役柄は平凡な主婦でも、その抑揚のきいた演技はまさに非凡の域であった。またトレヴァー・ハワードも、素直でやさしいけれどもよく考えればひどい男を、そう思わせ過ぎないよう紳士的に演じて素晴らしかったと思う。
それだけではない。物語はまず2人の別れから始まるという意外な展開を見せるのだが、結果的にはこの別れを前提としたドラマづくりが功を奏している。つまり我々観客は、この2人には別れという運命が待っているという暗黙の同意とともにこの物語の行く末を見守っているわけだが、この心の奥底にしまいこんだ暗黙の了解が、物語が終幕へと向かうにつれて何とも言えぬ作用を伴って心を揺すぶるのである。
こうして我々も知らず知らずのうちに、駅構内の喫茶店の一席に腰かけている。やがて例の最後の別れのシーンがやってくる。そしてここであの誰もがブン殴ってやりたいお喋りオバサンの再登場である。しかしこれだけでも巧いと思うのに、リーンは最後の切り札として、去っていくハワードの姿を追うジョンソンの視線の先に、かぶせるようにしてオバサンの姿を映しこむのだ。やられた! と思った。思えばこの頃のリーンは、監督としてはまだ駆け出しの時期であったのに、それでもこの巧さ。さすがはのちに巨匠と謳われた人だと素直に脱帽した。
ラストもいい。確かに夫のあの台詞は出来過ぎのようにも思えるのだが、しかしこの物語の締めくくりに、あれ以外のどんな台詞が用意できようか。
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