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[コメント] 余命1ヶ月の花嫁(2009/日)

このハナシはたまたまテレビで見ました。急に式場を探したが、何処も駄目で、たまたまキャンセルがあっていい式場が手配できて、その素晴しい結婚式に号泣しちゃったことを昨日のように思い出します。
セント

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画はその花嫁の気持ちをほぼ主観的に追う。そのため自分の病気が難病だと分かったときの心理は描かれていない。タロウと同じく彼女の話からしかそれは伝わらない。こういう範疇の映画ではこれは珍しい。主人公の気持ちの上での慟哭が聞こえてこないからだ。そこには難病ものでありがちな過剰な演出は全くない。これはいいと思う。

チエの気持ちを誇張せず淡々と描いていく。チエの時間と同じ間合いをとった演出。敢えて映画的な感動を見せようとしていない。観客には無駄と思えるシーンでも二人には重要だった時間のはずだ。そんな映像を淡々と見せていく。二人には残された時間はあまりにも短過ぎるのだ。映画的にもっとこうしたほうが良かったなんていう批評はこの映画の場合僕は不要だと思う。

一人の女性の最後の生。彼女はいつも「生きてる!」と言う。そう、この映画は明日が来ることが奇跡だとしか思えない一人の女性の生きていることを写し取ったドラマなのだ。

彼女はタロウに黙って闘病生活をテレビ撮りしたり自分の人生はすべて自分で決めている。強いんだ。立派だね。こういう部分はドキュメンタリーでは分からなかった。だからタロウもどんどん強くなっていく。

全体的に感情を抑えてはいるが映画的に観客を泣かせようとしたシーンは、結婚式でのタロウ側の両親の急な出席に戸惑うシーンであろう。ほとんどの人がここで泣き崩れるだろう。セリフでなく泣かせるというのはやはり映画的にうまい作りだ。

気になるのはその後のタロウの生き方かな。ずっと引きずっていることを彼女は想ってはいないはずだ。ドキュメンタリー部分でも彼女の死後、彼女の父親と確か同居してしまう太郎の生活が描かれていたが、他人ながら心配してしまう。

先日もこの映画のキャンペーンで移動検診バスの近くに本物の太郎がいたが、彼はまだ彼女に関っている。まだ彼女と彼らの過ごすべき人生を今でも送っているのだ。このこと自体が一本の映画をはるかに超えてしまっている。愛は強い、、。

(評価:★3)

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