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[コメント] サイレント・ランニング(1971/米)

ハードSFの設定を美味く引き継いで映画にしてくれた。でも一番の見所は健気なロボットってことになるんだろうな。ウォーリーのご先祖?
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 1970年代。1968年の『2001年宇宙の旅』(1968)と『猿の惑星』(1968)の出来が素晴らしかったため、それ以降今一つ活性化していなかったSF界だが、そんな不毛の時代にぽこっと出来てしまったSF作。

 本作は当時のハードSF小説ブームをそのまま映画にしたような感じに作られている。折からのヒッピー文化の中にあってハードSFは「馬を宇宙船に、銃をビームに持ち変えた」ウエスタンの亜種から脱却し、より内面に、より哲学的に変化していったのだ。

 小説においてもこの時代にハードSFが流行っていたものだが、その変化は映画にも波及していった。その変化はあまりに急だったが、これは当時のヴェトナム戦争の不毛さ、環境破壊の進む世界への絶望があったためと思われる。時代が物語に救いを求めていくようになったと考えられるだろう。少しずつ変化していった小説とは異なり、いきなり哲学にシフトアップしたのだから、映画の進化の速さはとんでもなかった(本作のみならず同年代に作られた『未来惑星ザルドス』(1974)なんかも極端な哲学的な物語になってる)。

 それをかなり分かりやすくして、ある意味極端な形で映画にしたのが本作だろう。  本作は一種のディストピアもので、この当時汚染によって世界は植物が育たなくなり、唯一の逃げ道は宇宙船の中だけとなってる。まともに考えたら荒唐無稽な話かもしれないが、だからこそSFだと言いはれる。

 そして主人公に至っては人間よりも植物の方にシンパシーを感じる人で、植物を守るためには仲間を殺すことも厭わないという極端な、現代で言うところの環境テロリストみたいな人。いやはや香ばしい設定である。

 でも、これこそそが当時の世界の閉息感を表した物語でもあるんだろう。そして陰ひなたから、こういう作品を作る人がたくさん出ていたからこそ環境問題は重要政策となっていき、ここで示されたような未来は“現時点では”回避されている。

 ただ、本作はそういうメインの物語よりも(ついでに主人公よりも)、健気なロボットが一番の魅力でもある。

 最初、三体いたロボットたちは、単なる備品でしかないのだが、鬱陶しい人間の仲間たちがいなくなってしまってから急激にその存在感を増す。単なる機械ではなく、寂しい主人公のパートナーとなり、一緒に植物を守る同志ともなっていく。そして最後にたった一体で植物を守り続ける人類の希望へと変わっていく。

 ロボット自体は全く変わってないのに、受け取る人間の側の心境の変化によってどんどん人間っぽくなっていくというのは、認識論の勉強にもなる。これはまさしく後の『ウォーリー』の元ネタだろう。

 環境保護の面から見るだけでなく、観ている側の認識がどんどん変わっていくという面をみても、哲学的な意味合いを感じさせられる。

 SFを啓蒙作品として考えるなら、外せない一本。

(評価:★5)

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