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[コメント] ポケットモンスター ミュウツーの逆襲(1998/日)

本作こそが世界で最も有名なカルト作と言ってしまおう。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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 劇場版アニメーションで長続きしている作品は、その第一作目の水準が軒並み高いものだが、本作の出来もかなり高く、シリーズの中でも最高傑作という人も多い。

 構成そのもので言うなら、笑いありサスペンスあり、アクションあり。そして涙ありと、子供の喜ぶものをなんでも詰め込んで作られた、いわば普通の作品ではあるのだが、何故か本作に関しては異様に評価が高いのが不思議だった。実際テレビ放映された時に観た限りでは、「普通の作品だよな?」と言うのが正直な感想でもあった。

それでは改めて、何故本作がそんなに評価されたのか?と考えてみたい。

 多分それは、本作が子どものために作られているから。ということなのだろう…いや、そりゃ当然のことなのだが、当時の子どもにしか分からない付加要素を本作は加える事が出来た。その結果、単純な中に子供心に残る作品になったのだろう。

 本作が練り込んだ付加要素。それはすなわちポケモンの存在理由というもの。

 「ポケットモンスター」は当時全盛時代だったロールプレイングゲームの一つで、物語そのものは一直線に進むものの、モンスターの育成に関しては結構自由度の高いゲームだった。ゲーマーはそこで得られるモンスターを、時に思い入れから、時に性能を重視してひたすら強いモンスターの育成を続けることになる。ただ、所有できるポケモンの数が限られるため、犠牲にするモンスターも数多くいるし、一体のポケモンを強くするために幾多のポケモンたちと戦うことにもなる。結果として数体のポケモンのために膨大な数のポケモンを犠牲にすることになる。

 これはどんなゲームでも同じことで、特段それでどうだということもないはずなのだが、そこに「もし、犠牲となる彼らにも意思があったら?」という疑問を投げかけてみせた。

 実を言えば、この設定が第一作目に来たということが重要である。

 アニメ版「ポケモン」とゲーム版「ポケモン」の違いは、登場するポケモンの扱いの違いでもある。ゲーム版では、ゲーム中に登場するポケモンは、倒して経験値になるという都合上、自分の保有するポケモンの“餌”にすぎないが、アニメ版ではどんなポケモンも人間の仲間であり大切にされる。この違いがあるわけだが、劇場版第一作は、アニメ版をベースとしていながら、観ている子どもは、まだゲームから派生した物語として捉えている部分もある。そんな中、単なる“餌”として消費されているポケモンに意思があったらどうだろう?と思わせる描写があったらどうか。それはおそらく、これまで自分がやってきたことが、実はポケモンの意思を踏みにじる行為だったという可能性と、踏み台にしてきたポケモンたちの恨みがそこには詰まっているような気持ちにさせられるようになる。  これははっきり言えば、子供心にトラウマを与える行為だ。

 実はすぐれた子ども向けの映画の特徴の一つとして、エンターテイメントの中に、子供心にトラウマを与える描写があるということも挙げられる。一旦トラウマを与えられた子どもは、おとなになってもその思いを引きずることになり、その作品を決して忘れなくなるものだ。

 記念すべきポケットモンスター第一作の本作が何故そんなに評価が高いのかは、まさにそのトラウマにあるのではないだろうか?そして多分、その当時にゲームボーイで最初のポケモンをプレイしていた子どもにしか分からない、かなり幅の狭い世代での感動を呼んだからと思える。しかし、こんな作品は貴重だ。ある意味これこそがカルト作と言っても良い。

(評価:★3)

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