[コメント] ラストエンペラー(1987/英=中国=伊)
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特定の人物を題材にして歴史を描く映画の場合二つの方向性を持っている。一つには歴史そのもののマクロな描写。そしてもう一つは主人公がその歴史の影で何を得て何を失ったが、その中で何を考えたのかというミクロな描写。この二つの方向性が映画を形作るのだが、このバランスは結構微妙。特にマクロの視点に偏った作品は傑作が生まれる場合があっても、往々にして意気ばかり高く物語が駄目になってしまいがちだし、逆に人物描写に偏ると、歴史そのものが分からなくなってしまう。
そのバランスで言えば、本作はかなり人物描写の方に針が振れていた感じだが、本作の場合それは成功(歴史描写が西洋から見たオリエンタリズムに溢れすぎているので、かえって細かく描写しなかったのが良かったと思う)。少なくとも、その訳の分からなさが私にとっては、「中国ってどんな国なんだろう?」と考えさせてくれただけでも充分。
本作の場合、最も突出しているのが溥儀という人物の孤独感であろう。激動の時代にあって、自分では何も判断出来ない。否、判断してはいけない人物であった。それこそ生まれた瞬間から皇帝となることが決まっていた人生を歩み始めた。そして自分の全く知らないうちに紫禁城の外では革命が起こって幽閉され、放り出され、更に日本によって傀儡皇帝となる。その後ソ連軍、共産党軍による拘束と解放…これらに共通するのは、溥儀本人は実は歴史的に何の決断も下していないのだ。ただ言われたとおり行動していたら、流れ流れてこの状態。と言う感じ。
これは歴史に限らない。無理矢理与えられた妻の存在や、愛の幻想と幻滅、人を信じることの虚しさなど。彼自身は実生活においてさえ本当に何もやってない。
それを彩るローンの目がとにかく凄い。常に遠くを見やっているだけで、何を考えているのか分からない。いや、実際自分が何をしているのか本当に分かってないのだろう。いつも雲の上を歩いているような非現実感と、自分がどれだけ人に影響を与えているのか全く分からず、他者との距離感が掴めないまま(そう言えば長く鬱の状態にあった時、私もそんな感じだった)。不思議な人物描写が見事に映えている。
その孤独感の演出こそが、実は本作の最大の功績では無かろうか?
あらゆる権力を手中にしていながら自由が全くない。権限ばかり肥大していながら自分で決断出来ない。その中で何を信じて良いのか分からない人物こそが彼だった。
ただ、その中でも彼が信じていたものも僅かながら存在した。それは弟の溥傑であったり、家庭教師のジョンストンであったり、幼い頃に捕らえたコオロギであったりする。気の許せる人物が外国人というのはなんとも皮肉な話だ。
アカデミーの10部門独占という、最高評価を受けて大絶賛を受けたが、実はアカデミーの地元アメリカでは全然売れなかったそうである。理由は簡単で上映館数がとにかく少なかったこと。そもそもこれを推奨していたのコロムビア社長のパットナムが辞任すると、配給となったコロムビアは上映規模を縮小してしまい、100館以下に抑えてしまったのが原因だとか。
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