[コメント] フランケンウィニー(2012/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まずは物語だが、これは確かに楽しい。50年代とかのB級怪奇映画(敢えて“ホラー”とは言わない)を知っていると元ネタの分かる演出が次々に出てくるし、こどもっぽい無邪気さと残酷さが混在する毒のある物語展開は私の大好物だ。
かつてバートンは『エド・ウッド』で怪奇映画への愛をしっかり描いていたが、本作ではバックステージ的な外郭ではなく、内容に踏み込んでやってくれていて、ここでも愛情を知ることができる。特に50年代のユニヴァーサル製怪奇映画に大変な愛情が込められていた。ここまで突き詰めれば、作ってる方はさぞかし楽しかっただろう。
難点を言うなら、ラストできちんとまとめるべきところでまとめてくれなかったことかな?最後に犬が再び生き返ってめでたしめでたし。ではなく、不自然な生まれ変わりをした犬は自然死で終わらないと物語としては破綻してしまうから。
…いやしかし、これも又監督の悪意と考えるならば、ありなのかも?
出来る事なら、このDVDには特典でオリジナル版を同梱して欲しいもんだ。
と、言うことで、内容的には大満足ではあるが、いくつか思うこともあるので、少し書いてみよう。
そのものはまだ観ていないのだが、オリジナル版の『フランケンウィニー』が当時のディズニーに受け入れられなかった理由は、当時のディズニーの体制にあったのだろう。
ウォルト・ディズニーによる設立以来、ディズニーは夢の担い手として君臨し続けている。だがディズニーにも歴史がある。実は70年代から80年代にかけ、ディズニーはかなり経営的に危ない時期にあった。簡単に言えば、当時のディズニーは非常に保守化していたのだ。こどもの喜ぶものは普遍的であるとして、50年代の価値観を守ることを自分たちの使命と考えていたから。激動する世界の中、古いコンテンツを守っていたのだ。これは姿勢としては立派ではあったし、事実ディズニーランドは多くの家族を収容し続けていた。ただし、ディズニーランドを離れた当時のディズニーのメディアコンテンツはことごとく失敗に終わってしまった。映画を作っては必ず失敗するし、新しいアニメも作れない。
そんな時期に作られた『フランケンウィニー』は、到底ディズニーの眼鏡に適うものではなかった。特に過去を振り返って、“古き良き時代”をパロディにするような、そして明らかにライバルであるユニヴァーサルにべったりな作品を作られてしまっては、そりゃ怒るだろう。
しかし80年代を境としてディズニーは変わった。経営建て直しのために新CEOとなったアイズナー、そしてピクサーコンテンツをひっさげて登場したラセターと世代交代が続き、その度ごとにディズニーは攻めの要素を強めていった。今やどんなリベラルなものでもどんっと受け止められる体制が出来上がっているのだ。
ここにおいてディズニーも、かつて切り捨てたコンテンツに目を留めることができるようになった。特に内容は魅力的でありながら、その毒気が当時の会社方針にそぐわなかった『フランケンウィニー』を今になって復活させることができたと考えられるだろう(ついでに、もはやユニヴァーサルを全く敵としてないという自信もあるんだろうな。最早この作品そのものがUSJに対する嫌味にすら感じられる)。
要所要所できっちり決める元ディズニー社員バートンも、この作品が作れたことで本当に和解できたと考えると、なかなか感慨深いものがある。
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