コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 善き人のためのソナタ(2006/独)

舞台の年代を1984年にしたのは、やっぱり狙ってのことだろうな。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 第二次世界大戦後のドイツは又激動の歴史でもあった。連合国によって“解放”されたはずのドイツは、列強各国の思惑によって東西に分断された。西側の国家となった西ドイツは、その後見事な経済復興を成し遂げていく事になるが、東側の国家となった東ドイツは、秘密警察網が張り巡らされた監視国家となっていく。特に東ドイツの首都であるベルリンは、西側諸国によって確保された飛び地西ベルリンと隣接していたため、西ベルリンの周囲を全てコンクリートの壁で覆い、いわゆるベルリンの壁を構築した。歴史上最もユニークな地となったこのベルリンは小説や映画の格好の題材となり、数多くの作品が作られることとなったし、多くの傑作もある。

 そんな東ベルリンの中で起こった出来事を、統一後のドイツで作り上げたのが本作。  決して本人の前に姿を現すことは出来ない死、ましてや自分のしていることを語る事は出来ないが、誰よりも本人のことを知る事になるという盗聴員を主役に、一方的な心の交流を描く本作は、他に類を観ないユニークな作品となった。最初から最後まで緊張感が持続し、灰色が主体の画面を見続けても、全くだれることなく観ることが出来る、非常に演出の巧い作品でもある。映画的な質は極めて高いものでもある。

 本作において、シュタージと呼ばれる国家保安省の行いがはっきりと明示されているのだが、それはその職員を使って、“国家の敵”を排除することにあった。その敵を見つけ出す方法が描かれる事になるのだが、それは盗聴することによる(なんでもこれは国家だけで行っていたことではなく、いわゆるエリート市民とされる人達に委託されることもあったらしい)。国家による監視体制の確立である。孤立しがちな社会体制を維持するためには必要な措置とされるものかもしれないが、それを行使する側が腐敗していると、それは非常に個人的なものとなり、上層部の思い込みや、あるいは個人の利益のため、はたまた、異性を“モノにする”ための方便として使われてしまう。そんな腐敗の中、それが国家のためであると思おうとする主人公の苦悩が見所となる。

 これで「かつての東側国家の非人道的な行い」「一党独裁による政治の腐敗」について述べているのは確かだが、むしろ本作はそれに留まったものではないと思う。

 まず本作の舞台となっている年代は1984年である。ジョージ・オーウェルが描いた小説まさしく「1984年」は、来るべき管理社会について描いたものだが、まさしくその年代に重ねて実在した管理社会を描くという皮肉がここにはこめられている。

 これは過去の物語なのかも知れないが、実はある意味ではサイエンス・フィクションでもあるのだ。それが何に対して?と言われたら、勿論これからの世界に対してのこと。

 「1984年」もそうなのだが、SFは常に国家による圧政、若しくは個人の自由を奪う機械装置に対して警鐘を鳴らし続けてきたし、それが一つの役割でもある。映画になった作品にしても、例えば『華氏451』(1966)であったり、『THX-1138』(1971)であったり、『Vフォー・ヴェンデッタ』(2005)であったり、近年では『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』(2014)であったりする(皮肉な話ではあるが『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)では主人公の側がそう言った管理社会を作ろうとして、しっぺ返しを食らうというものもある)。

 SFは空想だからこそ、暗い未来を見通して、それに対して警鐘を鳴らすことが出来るものなのだ。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。