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[コメント] タッチ・オブ・スパイス(2003/ギリシャ=トルコ)

ごくギリシャっぽい映画です。スパイスと宇宙を絡めるには内容が足りなかったように感じる。 主人公が少年の頃が面白かった。 レビューは私のギリシャ観と本作について。
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ギリシャに憧れる日本人はいても、ギリシャをこよなく愛する日本人はあまりいないのではないでしょうか? 以下、自分の経験からの暴走気味です。軽く読み流してください(の、つもりが長くなりすぎたので気の向いた方だけ読んでください)。

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ギリシャ人は信用できない。人を騙すことを屁とも思ってない。しかも彼らの嘘はすぐ嘘だとわかる。あまりにあから様に胡散臭いからだ。もちろんギリシャ人全部が全部そうと言う訳ではないが、トルコでも騙しあいが商いの慣例になっていると聞くし、このあたり、ギリシャとトルコのねちっこい歴史が関係しているように思う。一度訪問した経験から言うと、エーゲ海と島々は別として、ヨーロッパの国々と比べるとギリシャは古代遺跡以外に魅力は少ない。

多くのギリシャ人は、プラトン、ソクラテスはじめ、ギリシャ哲学が隆盛だった頃の古代ギリシャ人の小難しい外面と内面の面影を今に残しており、その生活様式も完全なるギリシャオリジナル様式。このあたり『マイ・ビッグ・ファット・グリーク・ウェディング』でコメディタッチに描いてましたが、あの作品だから面白かったものの、実際問題、ギリシャの生活スタイルは日本人のみならずどこの国の人でも馴染みにくいことだろう。

本作でも多く見られたように言葉遊びが好きなのもギリシャの特徴なのでしょうか? ギリシャの表現は古くっさくて理屈っぽくて洒落ていない。ヨーロッパでは何を言ってるか判らない人のことを「お前はギリシャ人みたいなやつだ」なんて言うそうですが、ギリシャ語って聞いててあまりに“オリジナル”すぎて訳がわからない。文化といい言語といい、もう国民性ですね。 理屈っぽさといえば、同じ雰囲気のドイツは、近代的、科学的、論理的なものがあって、これは見習う点が大いにあると思う。

料理もまずい。て言うか大雑把。 趣味で出場したアテネマラソンの前日、ホテルの傍のレストランに、例によってパスタを食べに行ったのだが、ギリシャ文字で書かれたメニューではさっぱり内容がわからず、「パ・ス・タ」と言って通じてほっとしたところ、出てきたものを見てビックリ。 一見ミートソースなのだが、パスタの上にのっているのは水分のほとんどないボテっとしたミンチ肉の塊。喉に痞えるのを水で押し流しながら苦笑するしかない。隣国イタリアとは大違い。

大体、私がマラソンを走っていて、応援より野次を飛ばす人のほうが多かったのはギリシャだけ。彼らはアテネの主要道路を交通規制されて大渋滞しているところを悠々と走るランナー(中には終盤歩いてしまう人もいるし・・・)に我慢できなかったらしい。どこにでもこういう方はいるし(日本にも結構いますね)、その気持ちを理解できなくもないのだが、このときだけはギリシャ人の言ってることがはっきりと判った。

あと道路もひどい。後日アテネオリンピックのマラソン中継でコースを確認したところ、流石に舗装し直したようだけど、私が走った当日は前日からの雨でコースの何箇所か「冠水」しており、唯でさえアスファルトが劣化して凸凹してたので、見えない穴に足を取られないよう神経を尖らせる必要があった。何十本もレースをこなしてきた私は他にこんな経験はない。 ある意味“オリジナルコース”を体感したわけだ。

オリンピックと言えば、アテネオリンピックの観客席が一部の競技を除いてガラガラだったように、自国開催のオリンピックへの関心度が低いことは、他国を大きく引き離している。ギリシャ政府は国民が関心を持つように苦心したそうですが、自分の関心事以外は徹底して無関心なギリシャ人なので、こうなることは判りきってましたね。諸事情でギリシャが希望しなくても100年に1回、しかも記念大会としてアテネに廻ってきちゃうんだし気の毒ではある。

とは言え、ハンドルに(ギリシャの)スパルタを冠する私として、悪口ばかりではなんなので、アテネマラソンゴール間際の数キロ、宇宙飛行士が感じるという、所謂“Awe-inspiring”を感じて涙が出てきたのはこの大会だけ。走る価値、訪問する価値は大いにあったことを最後に付け加えておこう。あと私が愛読する三島由紀夫はギリシャびいきで有名(かれの随筆のエピソードが私のハンドルの由来です)。

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そんなこんなで、本作があちらの料理を題材としているのに興味を感じつつ観た訳ですが、料理のお話というよりは、スパイスの魔法と少年の成長とトルコ在の祖父とのギャップを描いた映画になっていた。

それはそれでいいのだが、まずスパイスは(肝心の料理の描写がいい加減なので)ギリシャ料理の経験のある私から言うと、大雑把な料理を誤魔化す手段なのでは?と思えてしまうし、「料理前の割り込みがパーティをぶち壊す」との挿話は、(ホームパーティでありながら)閉鎖的で寛容でないギリシャの国民性を示しているようであるし、祖父の言った数多い言葉遊びも前述した通り。

(ほんと随分と言葉を要しましたが、)一言で言うと、本作はとっても「生ギリシャ」。 宣伝文句のスパイスが効いてるとか、洒落ているとかではなく、「生」のギリシャを(ギリシャにしては)卒なく料理できたことがギリシャで大ヒットした所以なのではないか?と思う。

面白かったところは、スパイスの虜になった少年を異常と考えた両親が台所に鍵を掛け、ボーイスカウトの姿で娼館で料理してお小遣いをもらうエピソード。彼女宛の手紙に想いを込めてスパイスをこすったのも、演出的には料理よりもスパイスが効いてるように思えるし、香水を降るよりも洒落ているように感じた。

スパイスと宇宙を同列に描いたのは、天文学発祥のギリシャと掛けているのでしょうが、言葉遊び以上の内容が伴っていなかったように感じる。スパイスを宇宙に例えるなら、ギリシャ・トルコ間のいざこざを乗り越えるだけの魔法を感じさせてほしかった。この意味で終盤のトルコで(それが両国間では現実なのでしょうが)英語の会話に変わったのも頂けない。 あと私的には青年の主人公に魅力を感じない。少年と大人の2人の役者で良かったと思う。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)Yasu[*]

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