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[コメント] 大学の若大将(1961/日)

青春映画における男女の関係性を、それまでの定番である「男と女」ではなく「男の子と女の子たち」として描いた点が本シリーズの決定的な新しさである。その等身大の憧れの具現化とでもいうべき親近性が60年代の空気と呼応し当時の若者の心を捉えたのだと思う。
ぽんしゅう

たとえば、同じ昭和30年代に人気をはくした石原裕次郎らによる日活映画における男女の関係性は、あくまでも一対一の「ヒーロー」と「ヒロイン」だ。一方、加山雄三演じる田沼は、水泳やバンド活動をともにする仲間たちの身近なヒーローであり、女子大生団令子、店員星由里子、お嬢様藤山陽子、クラブ歌手北あけみ、さらには妹中真千子やお婆ちゃん飯田蝶子まで、あらゆるタイプの女性のヒーローとして描かれる。それまで、別世界の理想(空想)として描かれた男女の関係が、若大将シリーズでは少し背伸びすれば手の届きそうな身近さ(憧れ)で提示される。

そこで、男の子たちはみんな若大将のいいとこ取りをして考えるのだ。体力に自信があればスポーツで、音楽が好きなら楽器演奏でヒーローになれるかもしれない。たとえ、お坊ちゃん育ちで古臭い家業に縛られていても、自由奔放に青春を謳歌することは決して悪いことではなく、金がなくなれば若大将のように汗を流してアルバイトで稼げばよいのだ。それはカッコ良いことなのだと。

そして、女の子たちも現実の我が身を振り返りつつ思いをはせる。勉強は得意だが容姿には自信のない女子大生だって、同じことの繰り返しばかりの退屈な売り子だって、お嬢様気取りと嫌味な陰口を言われても、とりえといえば明るさとナイスボディだけでも、そして冴えない兄弟と毎日顔をつき合わせている私でも、自由に恋をしてよいのだと。私がヒーローだと決めた男の子を追いかけていれば、自分もいつかヒロインになれるのだと。

この「男と女」から「男の子と女の子たち」への関係性の変化は、当時の社会状況と若者の意識の変化を見事に捉えていたように思う。本作は61年の公開であり、前年の60年は日米安保条約の締結をめぐり日本中が騒然とした一年であった。もちろん政治と映画を、ダイレクトに結びつけようななどとは思わない。しかし、先ほど「男と女」という関係性の代表例に引いた石原裕次郎が映画デビューしたのは56年だ。同じ高度経済成長期を代表する石原裕次郎の映画とはまったく価値観の異なる加山雄三の映画が、この60年を境にして登場したのだ。

52年の日米平和条約締結から、時の総理大臣が「もはや戦後ではない」と宣言した56年を経て60年の安保締結に至る約10年間と、そこから64年の東京オリンピックを成功させ、70年の日本万国博覧会へと突き進む次の10年間。ここには混乱から成長、すなわち個的価値観の主張から公意識の共有という大きな社会状況と若者の意識の変化があったように思う。奇しくも61年の『大学の若大将』に始まり、71年に終了するこのシリーズは、その意識の変化をみごとに反映しているように見える。

(評価:★3)

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