[コメント] 性の放浪(1967/日)
開巻から冒頭の夫婦の性交場面にかけて流れる、意味不明な言語(録音テープの逆回転?)のような音響が不気味。以降も男の心象として多用される俗っぽい音楽と対比的に“恐妻幻想”の抑圧の象徴として、この不条理ながらも“呑気な逃避行”の不穏さを掻き立てる。
1967年当時、ある日突然に人が行方不明になる“蒸発”が頻発した。そんな社会現象をピンク映画という“社会の隠花”に取り込んで客を呼ぼうという若松プロの逞しさ。とはいえ、沖島勲と足立正生の脚本は一筋縄ではいかない。意表を突く結末のアバンギャルド精神が見事。時流に乗った(今村昌平作品拝借の)ラストシーケンスのオチが、追い詰めらえた男(山谷初男)が抱え込んだ「自我の消失」を描いてユーモアとともに、マジな説得力を持ってゾッとさせる。
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