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[コメント] THE 有頂天ホテル(2005/日)

今まで三谷映画に不足していた空間移動とスピードが生まれ、『ラヂオの時間』から『みんなのいえ』を経て本作で天才脚本家三谷幸喜の「映画監督」としての才能が開花した、と同時にその限界が見えた気がする。余計なお世話かも知れませんが・・・・
ぽんしゅう

三谷の初監督作『ラヂオの時間』の面白さは、特定の場所と限られた時間の中で次々に生じる難題を前にして、いかにも業界にいそうなデフォルメされた登場人物たちが右往左往する面白さであり、そこには天才脚本家による絶妙な脚本は存在しても映画的なダイナミズムが生む昂揚や感動はありませんでした。劇作家や舞台演出家が始めて映画を監督するときにありがちな映像への過剰な思い入れや気負いを排除して、自分の得意なフィールド内で勝負する。三谷幸喜の方法はとても手堅く、それなりに無難な映画監督デビューだったと思います。

しかし、その方法論はあくまで舞台の延長線上のもので映画作りとしては邪道であり、完成品から決定的にある種の映画的楽しさが欠落してしまうことなど賢明な三谷には判っていたのでしょう。第二作『みんなのいえ』で脚本家三谷は始めから映画としての要件を満たしたオリジナル脚本を準備して、あえて「ラヂオの時間」とは全く違うアプローチで映画監督への挑戦を試みました。必然的に前回のようなスタジオ内の生放送という限られた状況から物語りは日常の中へと解き放たれ、より自由な空間と時間を獲得し演出のオプションは増え映画的ダイナミズムが加わる余地が生まれました。

しかし、結果は無残なものでした。三谷が得意とする障害の連鎖は時間的緊張を失いタガが外れたように絡み合うことなく、ぶつかり合うべきキャラクターは日常空間の中で接点がぼやけ凡庸なドラマしか生んでいませんでした。自ら設定したハードルが越えられず、三谷の貴重な個性までも打ち消してしまっているように私には見えました。きっとクレバーな三谷は、この「みんなのいえ」で自分に撮れる映画と撮れない映画があることを知ったに違いないありません。

そして生まれたのが本作「THE 有頂天ホテル」です。ここでは「ラヂオの時間」が一つしか持っていなかった「閉じられた空間と限られた時間、その中の人物」というユニットが複数準備され、その複数のユニットがさらに上位のホテルという「閉じられた空間」の中で錯綜するという複層構造を持っています。頭いいですね三谷幸喜。つまり自分の最も得意なフィールドを複数用意して、それが外部へと飛散しないようにさらに大きなフィールドの中に納めてしまう。その中で各ユニットを衝突させ合って何とか映画的な揺さぶりを起こそうと試みています。

本作が、今まで監督作で一番面白いという感想はここから生まれるのでしょう。しかし、観終ってやはり何か物足りなさが残るのは、しょせんその映画的広がり脚本家三谷が考え出したフェイク的映画らしさの成果でありあくまでも本来の映画的面白さではないからです。きっと三谷は他人の原作や脚本で映画を撮るという職業監督には成り得ない人なのです。あくまでも自分に合った脚本を自分で書いて映画にすることしか出来ない監督でしょう。そこに、三谷の映画監督としての限界が見えます。でも私は、これで良いのだと思います。この手の映画を作れる人材は今の日本映画界にはいませんから。

となると、本作が興行的に大ヒットしてしまった三谷は、次回作、そしてその次と周りから寄せられる期待の重圧と、自らの限られたフィールドの中でいつか見えてくる創作活動の限界の苦しみの入り口に立ってしまったのではないでしょうか。そこがちょっと心配です。タイプはまったく異なりますがあの才人伊丹十三が、映画監督としてこの同じジレンマに陥っていたのが思い出されます。そんな凡庸な私の心配など嘲笑うがごとく天才・三谷幸喜は、次から次へと湧き出すアイディアでエンターテインメント映画を作り続けるのでしょうか。

(評価:★4)

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