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[コメント] 110番街交差点(1972/米)

見終わって、急いで地図を探した。110th Stが見たくて。キラキラした世界とドブみたいにクサイ世界とを隔てている見えない壁を見たくって。・・・・・でも、見つからなかった。そこには何もない!何にもないんだあ!
Shrewd Fellow

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







あるのは、僻み、妬み、ヤケ、あきらめ、それに足のひっぱりあい。島国根性というヤツですな。目立てば叩かれる、そこから出ようとすれば足をひっぱられる。ましてやカタギの世界で成功しようなんてしようものなら、いつまでもbrotherとかいわれてつきまとわれる。ミョ〜な仲間意識。「トモダチだろ?」「仲間じゃないか」「おまえとおれの仲じゃんか」・・・・・・ワー!!(私なら大爆発しちゃう)

そもそも、あの強盗三人組は、MOBのアジトをおそってアガリのゲンナマをいただこうなんていう向こう見ずな計画を(しかも誰も殺さずに!)たてるだけの度胸があるんなら(まー、たまたま運がよかっただけとも言えるが)、目の前の道路を横切るくらいのことはできそうなもんだ、と、現在に生きるこわいものなしのシングルマザー・オバタリアン(ワタシのこと)は思った。それに、成功したのにまだその場にとどまっている。その道を横切って向こう側にいけば夢がまってるはずなのに。なぜ、自分の足で向こう側に行ってみようとしないのか?確かに、社会の彼らに対する差別やさげすみもあるだろうし、彼らがそういう生活をしなくちゃいけなくなったモトモトの原因はそこにあるんだろうと思う。まともな仕事を探してと言うグロリアにジムは「学歴もない、資格もない、42歳のニガーだ。おまけに前科もある。そんなオレにまともな仕事なんてつけるかよ!」という。これが女というともっと悲惨で、売春のほかにする仕事はないという。それだって若いうちしかできない。それは大きな要因だけど、それだけだとは思わない。それだけなら横切って向こう側に行ったほうが時間給も高いかもしれないし、売春するにしたって単価が高くとれるかもしれない。それでもハーレムから出られない理由は、やっぱり、ミョ〜な仲間意識であり、親や世代間伝承されてきた島国根性の呪縛からだと思う。(主題歌の「売人はジャンキーを手放さない」という歌詞のとおり)なんとなく、仲間(黒人全体という意味)を裏切るような気がしたり、自分はここから出たら生きていけないと思いこんでいたり(刷り込まれていたり)、またここから出ようとする自分自身が非常に身勝手に思えて罪悪感を感じるからだ。だから、殺されるとわかっていても廃屋にかくれたりするんだろうと思う。(最近見た映画の中では「ボーイズ・ドント・クライ」もそういう感じと思う。)

ハーレムだから、黒人だからじゃない。私たちのまわりのどこにでも島国根性は根をはっている。だいたい「トモダチだろ?」などというような人は自分のことしか考えていないことが多いのだ。「あなたのためを思っていっているのよ」もその部類だ。また、暴力夫から離れない妻というのもこの部類だ。どんなヒドイ目にあわされようとも、「でも、あの人、私しかいないから。私がいてやらないと・・・あれでもやさしいのよ」などと言ったりする。そんなの、苦しい人を見限って(あるいは見捨てて)置いていくことへの罪悪感に目をつぶっているだけじゃん。だいたい「エゴイスト!」と呼ばれることへの恐怖、これが足をひっぱる。トモダチ(らしき人)から理不尽な要求をされた人も、親から勝手な夢を押し付けられた子供も、さんざん蹴飛ばされてから「おまえがいないとだめなんだよー」と抱きしめられる妻も、自分が誰かを見捨てていく(ように見える)罪悪感にとらわれるのがいやなんだと思う。

そうはいっても、差別されてきた人たちにしてみれば「おまえに何がわかる!」と言いたくなるでしょうね。映画でチラっと見ただけでも、これまでこの人たちがさげすまれ続けてきた歴史みたいなものが、登場人物全員からにじみ出ているような感じがします。同僚でも、3回名前を言っても、「何だって?」と聞き返される。それは20年前も今も変わっていないのかもしれない。クイン演じるキャプテンみたいに、壁の向こう側にいる白人だってセコくたちまわってる人もいるしね。「おまえもいずれは飲む。飲まなきゃやってられん。」というセリフに現れてるように思う。自分でもセコいことは十分わかっているけど、目をつぶって肩をすぼめてビクビクしながら、ごまかしながら今日をやりすごすことしかできない。彼の姿は、肌が白くて警官であるというだけで、ジムやジャクソンたちとあんまり変わらないんじゃないかしら。ここを出たら生きていけないという無言の合言葉があるから、何がおきても、目をつぶって、耳をふさいでビクビクしながら今日をやりすごす。世の中を恨み、「どうせおれたちゃ・・・・」の僻みを食べて生きていくしかない。私は日本人しかいない国にうまれそだって、特に外国で暮らしたこともないから、身をもって体験したわけではないけれども、自分ではどうすることもできないことで差別されたりさげすまれたりするってことは、ホント悔しいです。私は女だから、(彼らに比べりゃ、ささいなことだけど)シゴトをしてるといろいろ悔しい思いもします。「女のくせに」という言葉は「黒人のくせに」という響き一緒ですよね。でも、その現実にヘコんでいては前進できないもんね。あのエリート黒人ルテナントのように、まず現実をうけいれ、自分のできることから全力でがんばる。その一歩が大切なんだと思う。その一歩を踏み出す人間の足をひっぱっているものは、確かに仲間かもしれないけど、もしかしたら自分自身の中のミョ〜な仲間意識(罪悪感)なんじゃないかと気づいてほしい。ジムの娘のように、キラキラした夢みるコドモの目を、自分(もしくは母親)と同じ死んだようなあきらめの目にしないために!

110th Stとセントラル・パークを隔てているものは、差別だけじゃない。半分は自分の中の問題なんじゃないか。そこには、実際には何にもない。早くそれに気づいて、勇気をもって横切って!それってこの映画にでてくる黒人だけでなく、私たちのまわりのすべての人へのメッセージだと思う。

余談ですが、オスカー受賞式のあとにこの映画をみたのですが、ハリー・バリーの涙のワケが、ほんの少しですが、感じられたような気がしました。彼女の言葉「すべてのcolored womenに扉が開いた」というのに、心打たれました。島国にくらすヒトリのcolored womanとして、よっしゃー!がんばろー!!という気になりました。

(評価:★4)

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