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[コメント] ゆりかごを揺らす手(1992/米)

ひさびさに、映画のなかにひきこまれました。うれしかったです。
Shrewd Fellow

でもー、どうして5点ではないかというと、やっぱりー、妊婦への狼藉はゆるせないからかな。女はいくつになっても、産婦人科の診察台にのるのはいやなものなんです。いくら医者でも、見ず知らずのオトコに見られるのは、どうも抵抗があります。ペイトンも妊婦だったのなら、妊婦検診で医者にヘンなことされる無念さくらい、わかりそうなもんだと思うんだが。資産を全部凍結されるっていうのが本当の恨みの本質で、それをオブラートにつつもうとしていたのなら、ちょっと、許せないね。

しかしながら、赤ん坊におっぱいをあげる、というシアワセは、ちょっと、表現しがたいものがあります。男の人にはわからないのはもちろんですが、えもいわれぬ幸福感に包まれる時です。私は、びゅーびゅー母乳がでるほうではなかったのですが、それでも、おっぱいをあげるのは至福のひとときでした。私が子供の頃には、バスや電車のなかでも、血管が青くういた生々しいオッパイをボロンとだして授乳している女の人がたくさんいましたが、今はどこでも授乳室なるところがあって、人工乳(粉ミルク)の人もゆっくりコドモに乳をあげることができることになっています。私は、コドモがないたらどこでもボロンと生々しいオッパイを出して授乳するのが夢だったのですが、それほど母乳が続かなかったのでその夢は果たせませんでした。だから、ペイトンがオッパイをあげているのを見たとき、すごくその気持ちがわかったし、幸せと哀しみがいっぺんにきてるな、というのがよくわかりました。そのまま、自分のコドモだったらいいな、と思ってもしかたがないかな、とは思うけど、自分の子供だと信じちゃうのは、やっぱりビョーキですね。それって母性とはまったく違って、自己中心的思い込み。

それにしても、母は強い!自分の子供を守るためなら、喘息もなんのその!この映画でも父親はどうにも使えない。奪うのではなく、守る!絶対、この子たちは私が守る!そう思ったとき、やっと、女も母になれるんだなー、と実感しました。親もだんだん親になっていくんだよね。産んだから、おっぱいをあげたから、親になれるというわけじゃない。親であるというライセンスは、お産の痛みと一緒についてくるものじゃない。だんだん、親になっていくんだね。私も、いちいち反省してがんばらなくっちゃ!とコドモの寝顔を見て考えました。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)ジャイアント白田[*] ろびんますく torinoshield kekota[*]

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